ハイクノミカタ

さくら貝黙うつくしく恋しあふ 仙田洋子【季語=さくら貝(春)】


さくら貝黙うつくしく恋しあふ

仙田洋子
『橋のあなたに』


 高校時代の友人の話である。彼女は、交際中の彼が無口で全く会話が続かないことに悩んでいた。友人は、人形が相手でも何時間も話し続けることのできるようなよく喋る女の子であった。その友人にも会話の続かない相手がいるのかと少々驚いたが「好きな人の前だと何を話して良いのか分からなくなるもの。意外と純情なんだね」なんて言って冷やかしたりもした。交際の切っ掛けは彼女の一目惚れ。通学電車で見かけるうちに恋心が募り、バレンタインデーの朝に一つ前の駅で降りた他校生の彼に声をかけて「友達からで良いなら」とのことで交際が始まった。一目惚れなので相手の性格も分かっていない。他校生なので共通の話題もない。電話を掛ければ出てくれるし、週末にデートに誘えば来てくれる。でも会話はいつも一方通行。相手の趣味や家族や学校のことを聞いても、何故かすぐに話題が途切れてしまう。「じゃあ、今度のデートの時に会話が途切れた瞬間に手を握っちゃえば」なんて作戦を提案したりして二人で盛り上がった。相手の彼は常に受け身で、手を繋いでも友人が手を引いている状態。電話での話題もデート場所も全部友人が考えた。かなり寂しい交際である。いつかきっと心を開いてくれるに違いないと思いつつ数ヶ月経った頃、友人は彼を海に誘った。海まで1時間かかる電車の中も無言で泣きそうになった。春の海で一人はしゃぎ貝殻を拾う友人の後を遠い眼をして付いてくる彼。「この人と一緒にいて私は楽しいのか」とまで思った。

 波打ち際にしゃがみ込み波を見ていたら、その横に彼がすっとしゃがみ込み、一緒に尽きることのない波をいつまでも眺めてくれた。砂浜を濡らす波の形は、綺麗とも不思議とも言えない絶え間ない変化の連続で、言葉にしたらつまらなくなってしまう。ふたりで共有し合った無言の時間。それは、ふたりの心が初めて通じ合った瞬間だったという。

 その後、友人は積極的に口説いてきた別の男性と交際することになり、彼とは別れてしまう。高校を卒業して何年か経った頃、友人は言った。「私にとって一番美しい恋の想い出は、あの春の海だった」と。

  さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子

 桜が咲く頃、浜辺では面白いほど桜貝が拾える。波打ち際に星のように点在する爪ほどの薄紅の小さな貝。抓むとしっかりと口を閉じて時折白い舌を出す。砂の間の上気した貝をひっくり返すと「忘れ貝」であることもある。「忘れ貝」とは、二枚貝の片割れのことを意味する歌言葉。二枚貝は、生きているときは、貝の殻を重ね合って中の肉を守っているのだが、死ねば離ればなれになる。片割れとなった貝殻である「忘れ貝」は、失ったもう一つの貝殻を求めてさ迷い、やがて砂となる。

 平安時代も終わりの頃から流行り始めた「貝合わせ」という遊びがある。貝は蛤だが、盤上に並べられた貝殻の二つを選び、重ね合わせてぴたりと一致すればその貝は自分の点数になる。貝の内側には絵が施され、時には百人一首の上の句と下の句が書かれていることがある。『源氏物語』絵巻の絵が描かれているのが有名だろうか。つまり、文学の教養があればその絵や歌がヒントとなり二枚貝を合わせることができる高貴な女人の遊びである。離ればなれになった二つの貝殻をもう一度逢わせる優雅な遊び道具は、嫁入り道具となってゆく。

 男と女は、運命の糸で結ばれており、ぴたりと合わさる貝のよう。女性は、かつて一つの貝であった時の片割れの貝を求め、もう一度一つになりたいと願う。前世において離れてしまった片割れの貝を求める旅が女性の恋なのかもしれない。

 自分の精神にぴたりと合う男性、身も心も一致して一つになれた喜びを分かち合える運命の人になど、出逢える方が不思議。浜辺には恋の残骸とも言うべき白い貝殻がたくさん横たわっているのだから。

 恋するふたりに会話なんていらない。会話は鳥や虫を寄せるための桜の花びらのようで、単なる飾りに過ぎない。儚く散ってゆくもの。心の通い合う無言の会話ができる相手こそが運命の人なのだろう。貝のように心を閉ざしていても共鳴し合える瞬間が男女には、あるのだ。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
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>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
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>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
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>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


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