ハイクノミカタ

松葉屋の女房の円髷や酉の市 久保田万太郎【季語=酉の市(冬)】


松葉屋の女房の円髷や酉の市

久保田万太郎
(『流寓抄』)


三の酉のある年は、火事が多いとの言い伝えがあるが、今年の酉の市は二の酉まで。火事も感染爆発もなく新年を迎えたいものである。

酉の市といえば浅草の鷲神社が有名である。吉原遊郭の近くであるため、吉原の遊女を題材にした物語には酉の市の場面が描かれることが多い。

樋口一葉の『たけくらべ』は、吉原に育った勝ち気な少女美登利と僧侶の息子信如との淡い恋の物語。遊女になるべく育つ美登利と、俗を恥じる信如との絶対に結ばれない恋。恋する気持ちに気付いた少女は、酉の市の夜より大人びた女性へと変わってゆく。

二十年前のことだが、初めて行った酉の市で、数十万円もするであろう大熊手に「吉原ソープ嬢NO.1売却済」との札が掛かっていた。男性が数人掛かって運ぶほどの大きさであった。その向かいの店舗は、サンリオプロデュースのお店。おかめがキティちゃんで愛らしい。これまた、巨大キティちゃんの熊手を買い取ったのが「吉原ソープ嬢NO.2」であった。昔ながらの大熊手を買うNO.1と現代的な大熊手を買うNO.2。どのような女性なのか興味が湧いた。お互い違う個性を売りにして競い合っているのだろう。

当該句の松葉屋は、吉原の引手茶屋であった。引手茶屋とは、客を遊女屋に案内する茶屋。一流の遊女屋は、直接来た客を店にあげないで、引手茶屋を通す風習があったという。客は、茶屋で宴会をし、指名の遊女の迎えを待ったという。遊郭の作法は、調べてゆくと奥深い。その松葉屋は、昭和33年の売春防止法施行後、文人の久保田万太郎の支援を受け、花魁道中を復活させたことで知られる。女将の名は福田利子。『吉原はこんな所でございました 廓の女たちの昭和史』を出版している。

花魁道中とは、位の高い遊女「花魁」が禿(かむろ)(遊郭に住む童女)や振袖新造(水揚げ前の若い遊女)などを引き連れて引手茶屋まで練り歩くことである。華やかな行列で資金も掛かるため、高級遊郭の位の高い遊女でなければできなかった。

1987年公開の東映映画『吉原炎上』では、明治の終わりに遊女として売られてきた主人公「若汐」に、遊郭の主人が伝統である花魁道中を復活させて欲しいと願う。最初は、垢抜けない少女であった「若汐」だが、売れっ子遊女として出世してゆく。指名客である財閥の御曹司古島に惹かれつつも、遊女としてのプライドを語ったため疎遠となってしまう。その後、上客を得て、酉の市で熊手を買って貰い、結婚を申し込まれるが「私には夢がある」と語る。直後に想い人である古島より身請けの申し出があるが、なんと、その身請け金で花魁道中を挙行してしまう。恋心よりも遊女としての野心が上回ったのだ。花魁道中終了後、古島に逢いに行くも、古島は、最下層の店の純情な遊女に熱を上げていた。結局、熊手を買ってくれた上客と結婚することになり、遊郭を去る日、吉原は火事で炎上する。引き留める男の手を払い、吉原の炎へと飛び込んでゆく場面で映画は終わる。

この映画は明治44年に起きた浅草の大火を元にして制作された。この火事により吉原は完全に焼け野原と化したといわれる。その年は、三の酉ではなかった。

三の酉のある年は、火事が多いとの言い伝えは、どうも俗信らしく、三の酉のときに火事が増えたという記録はないとのこと。

映画では、吉原炎上の火種が恋の炎のように描かれる。遊女と客との叶わぬ恋の炎、遊女のどこまでも高みを目指す野心の炎、遊女の紅き衣が火を生み炎上したのだ。

  松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎

昭和23年 、久保田万太郎は『三の酉』という短編を書いている。芸妓と客の対話で話が進むが、芸妓のモデルは、〈松葉屋の女房〉と推測できる。松葉屋の女将福田利子は、久保田万太郎より31歳年下であり、恋仲にあったとは思えない。惹かれるところはあったが、応援していたという感じだろうか。養女として幼き時より茶屋の女将として仕込まれた福田利子には、凛とした風情があったと言われている。女性は時に年齢を超えた表情をすることがある。年下なのに母のように感じたり、少女なのにお姉様のように感じたりする。〈松葉屋の女房〉は、幼い頃より沢山の遊女の人生を見てきた。晩年の万太郎には中年に差し掛かった福田利子が神々しいものに見えていたのだ。酉の市の賑わいの中で、どこか憂いを帯びた円髷の女将は、時代を超えて存在する花魁のように映ったのだ。引手茶屋「松葉屋」は、売春防止法施行後は料亭となり、平成10年に店を閉じる。遊女という文化は、哀しくも華やかな時代の象徴であった。その華やかさの名残のように、酉の市の灯が熊手の白いおかめを照らしている。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


【篠崎央子のバックナンバー】
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
>>〔9〕誰かまた銀河に溺るる一悲鳴   河原枇杷男
>>〔8〕杜鵑草遠流は恋の咎として     谷中隆子
>>〔7〕求婚の返事来る日をヨット馳す   池田幸利
>>〔6〕愛情のレモンをしぼる砂糖水     瀧春一
>>〔5〕新婚のすべて未知数メロン切る   品川鈴子
>>〔4〕男欲し昼の蛍の掌に匂ふ      小坂順子
>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す  能村登四郎
>>〔2〕凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男
>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


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