ハイクノミカタ

灰神楽かと思ひきや杉花粉 天沢退二郎【季語=杉花粉(春)】


灰神楽かと思ひきや杉花粉

天沢退二郎
「アマタイ句帳」思潮社

天沢退二郎を最初に知ったのは大学生の頃で、高名な詩人としてではなかった。入沢康夫とともに、作家の個性としてテクストに流動性をもつ宮沢賢治の全集(旧版)の編集に携わり、賢治の原稿と直に格闘した人物として、であったので、自分が賢治をよく読んでいた90年くらいまでの天沢が書いた賢治に関する文献は、興味を持ってほぼすべて目を通していたと思う。が、本業の詩の方にはあまり手が伸びず、思潮社の現代詩文庫を読んだくらいだった。しかもその当時は、天沢の賢治について書く文章は賢治と一体化し過ぎている印象をもっていたので、作家には申し訳ないが敬して遠ざける感じだった。そんな出会いだったもので、その後天沢が俳句を詠んでいたというのはまったく知るよしもなく、昨年「アマタイ句帳」が出版された時にはけっこう驚いた。言語の詩的機能に純粋であろうとする詩人がなにゆえにこれらの俳句を詠む気になったか不思議だけれど、そもそも宮沢賢治も俳句を詠んでいたし、思えば比較的近しい賢治研究畑の人はけっこう俳句を詠んでいるので、天沢も一つには賢治がきっかけだったのかもしれない。

とはいえ、天沢の俳句はいわゆる俳句とはだいぶ毛並みが違う。例えば栞に短文を寄せている関悦史は、「その是非を論じるよりは、五七五定型への詩性の横紙破りがアクシデントのように絶景を成してしまうさまを掬するべきだろう。」と評していたりする。どうもそのように評するしかないような句集なのだけれど、そのあたり詳しくは同句帳を繙いていただくとして、今回はその「絶景」というのとはやや方向性の違うものを掬ってみている。「◆妻花粉症なれば、幾月、戸を締め切りて籠り居たり。」と前書きのある〈花粉噴く杉は怒りの神楽かな〉からはじまる連作と読める七句中の一句である。以下続けて〈花粉吐いて吐き尽したら月を見む〉〈細すぎる杉の梢の春の月〉〈花粉噴霧して自業自得の峠みち〉〈灰神楽かと思ひきや杉花粉〉〈源の大将も笛吹き難き杉花粉〉〈ヤマメ焼けば鼻に詰りし花粉かな〉。閉じ籠もっている家の中で詠んだといいつつ、作品はメルヘン的世界へと展開していく。まず、一句目はそれだけ読むと風に揺れて激しく花粉を撒く杉の様子を神楽の怒りの舞に喩えた実寄りの句ともみえるが、二句目の擬人化具合からすればあたかも勧請された神が杉の化身となって、怒り花粉を撒いているかのようでもあるだろう。それが花粉を吐き終わって夜になり、憑依した神の怒りが鎮まれば杉は元のか細い一本の木にもどり、翌日にはどうやら撒いた花粉に神自身も苦しむかのようだ(神様も花粉症)。さらに花粉症がなかった時代なのでは?と思うような「源の大将」までがどうやら花粉症で笛をふくことができず、この花粉症は時空も現実非現実も自由に往還してしまう。最後の〈ヤマメ焼けば~〉句までくると、それが囲炉裏を囲んで家族で籠もっている最中のことで、団欒に魚を焼きながらなにやら童話でも聞かされていたのでは、と思えてもくるのだが、そこにも容赦なく花粉は侵入しているのである。ここで掲句の「灰神楽」は、囲炉裏にもうもうと灰を巻き上げる「灰神楽」でありながら、実はそれが花粉であることで、冒頭の句の花粉を噴く怒りの「神楽」へともつながり、室内であるにもかかわらずこの神の怒りの現象が反復されている。魚を焼いても花粉症で鼻が詰まって、というのは、現実のことであれば滑稽味のある表現なのだけれど、この作品内世界においては、どこに神の怒りがやってくるのかとか、鼻の詰まった何者かがこの後どうなっていくのやらなどなど、何が起きるかわかったものではない。でも、花粉と花粉症だけはいつもそこにある。おそるべし花粉症。とまあこういう調子で、ほんの一部を取り上げて連作としての読みの試みをしてみただけなのだけれど、それでもいわゆる俳句とはだいぶ毛並みが違う句集であることは、感じてもらえたのではないかと思います。

橋本直


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


【これがうわさの『アマタイ句帳』(思潮社、2022年)↓】

橋本直さんの第一句集『符籙』はこちら】


【橋本直のバックナンバー】

>>〔131〕黄沙いまかの楼蘭を発つらむか 藤田湘子
>>〔130〕実るなと掴む乳房や春嵐    渡邉美愛
>>〔129〕誰もみなコーヒーが好き花曇  星野立子
>>〔128〕変身のさなかの蝶の目のかわき 宮崎大地
>>〔127〕恋さめた猫よ物書くまで墨すり溜めし 河東碧梧桐
>>〔126〕くれなゐの花には季なし枕もと  石川淳
>>〔125〕ばか、はしら、かき、はまぐりや春の雪 久保田万太郎
>>〔124〕ひかり野へきみなら蝶に乗れるだろう 折笠美秋
>>〔123〕自愛の卓ポテトチップは冬のうろこ 鈴木明
>>〔122〕ものゝふの掟はしらず蜆汁   秦夕美
>>〔121〕灯を消せば部屋無辺なり夜の雪 小川軽舟
>>〔120〕冬深し柱の中の波の音     長谷川櫂
>>〔119〕よもに打薺もしどろもどろ哉    芭蕉
>>〔118〕二十世紀なり列国に御慶申す也   尾崎紅葉
>>〔117〕ぽつぺんを吹くたび変はる海の色  藺草慶子
>>〔116〕集いて別れのヨオーッと一本締め 雪か 池田澄子
>>〔115〕つひに吾れも枯野のとほき樹となるか 野見山朱鳥
>>〔114〕完璧なメドベージェワが洟を擤む   秋尾敏
>>〔113〕本の山くづれて遠き海に鮫      小澤實
>>〔112〕とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな 松本たかし
>>〔111〕冬枯や熊祭る子の蝦夷錦      正岡子規
>>〔110〕夢に夢見て蒲団の外に出す腕よ   桑原三郎
>>〔109〕手を入れてみたき帚木紅葉かな   大石悦子
>>〔108〕秋の餅しろたへの肌ならべけり   室生犀星
>>〔107〕どれも椋鳥ごきげんよう文化祭   小川楓子
>>〔106〕古池や芭蕉飛こむ水の音        仙厓
>>〔105〕秋海棠西瓜の色に咲にけり     松尾芭蕉
>>〔104〕幾千代も散るは美し明日は三越   攝津幸彦
>>〔103〕海に出て綿菓子買えるところなし   大高翔
>>〔102〕駅蕎麦の旨くなりゆく秋の風     大牧広
>>〔101〕茄子もぐ手また夕闇に現れし    吉岡禅寺洞
>>〔100〕汽車逃げてゆくごとし野分追ふごとし 目迫秩父

>>〔99〕天高し深海の底は永久に闇     中野三允
>>〔98〕なんぼでも御代りしよし敗戦日   堀本裕樹
>>〔97〕おやすみ
>>〔96〕もの書けば余白の生まれ秋隣   藤井あかり
>>〔95〕利根川のふるきみなとの蓮かな  水原秋櫻子
>>〔94〕夏痩せて瞳に塹壕をゑがき得ざる  三橋鷹女
>>〔93〕すばらしい乳房だ蚊が居る     尾崎放哉
>>〔92〕方舟へ行く一本道の闇      上野ちづこ
>>〔91〕とらが雨など軽んじてぬれにけり    一茶
>>〔90〕骨拾ふ喉の渇きや沖縄忌      中村阪子
>>〔89〕而して蕃茄の酸味口にあり     嶋田青峰
>>〔88〕洗顔のあとに夜明やほととぎす   森賀まり
>>〔87〕六月を奇麗な風の吹くことよ    正岡子規
>>〔86〕梅雨の日の烈しくさせば罌粟は燃ゆ 篠田悌二郎
>>〔85〕麦からを焼く火にひたと夜は来ぬ 長谷川素逝
>>〔84〕「ワイシャツのアイロンがけをしてほしい」夫に言われた妻の衝撃 片岡絢
>>〔83〕体内の水傾けてガラス切る      須藤徹
>>〔82〕湖の水かたふけて田植かな     高井几董
>>〔81〕スタールビー海溝を曳く琴騒の   八木三日女

>>〔80〕鯛の眼の高慢主婦を黙らせる    殿村菟絲子
>>〔79〕あたゝかな雨が降るなり枯葎     正岡子規
>>〔78〕目つぶりて春を耳嚙む処女同志     高篤三
>>〔77〕名ばかりの垣雲雀野を隔てたり     橋閒石 
>>〔76〕春宵や光り輝く菓子の塔       川端茅舎  
>>〔75〕特定のできぬ遺体や春の泥       高橋咲
>>〔74〕炎ゆる 琥珀の/神の/掌の 襞/ひらけば/開く/歴史の 喪章 湊喬彦
>>〔73〕杜甫にして余寒の詩句ありなつかしき  森澄雄
>>〔72〕野の落暉八方へ裂け 戰爭か     楠本憲吉
>>〔71〕寒天煮るとろとろ細火鼠の眼    橋本多佳子
>>〔70〕ばばばかと書かれし壁の干菜かな            高濱虚子
>>〔69〕大寒の一戸もかくれなき故郷     飯田龍太
>>〔68〕付喪神いま立ちかへる液雨かな     秦夕美
>>〔67〕澤龜の萬歳見せう御國ぶり      正岡子規
>>〔66〕あたゝかに六日年越よき月夜    大場白水郎
>>〔65〕大年やおのづからなる梁響      芝不器男
>>〔64〕戸隠の山より風邪の神の来る    今井杏太郎
>>〔63〕天籟を猫と聞き居る夜半の冬     佐藤春夫
>>〔62〕暗闇の眼玉濡さず泳ぐなり     鈴木六林男
>>〔61〕ラーメン舌に熱し僕がこんなところに 林田紀音夫
>>〔60〕冬真昼わが影不意に生れたり     桂信子

>>〔59〕雛飾る手の数珠しばしはづしおき 瀬戸内寂聴
>>〔58〕枯芦の沈む沈むと喚びをり      柿本多映
>>〔57〕みかんいろのみかんらしくうずもれている 岡田幸生
>>〔56〕あきかぜの疾渡る空を仰ぎけり  久保田万太郎
>>〔55〕自動車も水のひとつや秋の暮     攝津幸彦
>>〔54〕みちのくに生まれて老いて萩を愛づ  佐藤鬼房
>>〔53〕言葉がわからないので笑うてわかれる露草咲いてゐる 種田山頭火
>>〔52〕南海多感に物象定か獺祭忌     中村草田男
>>〔51〕胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋    鷹羽狩行
>>〔50〕ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ  なかはられいこ
>>〔49〕彎曲し火傷し爆心地のマラソン    金子兜太
>>〔48〕蜩やチパナスのあたり雲走る     井岡咀芳
>>〔47〕日まはりは鬼の顔して並びゐる    星野麦人
>>〔46〕わが畑もおそろかならず麦は穂に  篠田悌二郎
>>〔45〕片影にこぼれし塩の点々たり     大野林火
>>〔44〕もろ手入れ西瓜提灯ともしけり   大橋櫻坡子
>>〔43〕美しき緑走れり夏料理        星野立子
>>〔42〕遊女屋のあな高座敷星まつり     中村汀女
>>〔41〕のこるたなごころ白桃一つ置く   小川双々子
>>〔40〕海女ひとり潜づく山浦雲の峰     井本農一

>>〔39〕太宰忌や誰が喀啖の青みどろ    堀井春一郎
>>〔38〕草田男やよもだ志向もところてん    村上護
>>〔37〕水底を涼しき風のわたるなり     会津八一
>>〔36〕棕梠の葉に高き雨垂れ青峰忌    秋元不死男
>>〔35〕谺して山ほととぎすほしいまゝ    杉田久女
>>〔34〕夕立や野に二筋の水柱       広江八重桜
>>〔33〕雲の上に綾蝶舞い雷鳴す      石牟礼道子
>>〔32〕尺蠖の己れの宙を疑はず       飯島晴子
>>〔31〕生前の長湯の母を待つ暮春      三橋敏雄
>>〔30〕産みたての卵や一つ大新緑      橋本夢道
>>〔29〕非常口に緑の男いつも逃げ     田川飛旅子
>>〔28〕おにはにはにはにはとりがゐるはるは  大畑等
>>〔27〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ   波多野爽波
>>〔26〕花の影寝まじ未来が恐しき      小林一茶
>>〔25〕海松かゝるつなみのあとの木立かな  正岡子規
>>〔24〕白梅や天没地没虚空没        永田耕衣
>>〔23〕隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな  加藤楸邨
>>〔22〕幻影の春泥に投げ出されし靴     星野立子
>>〔21〕餅花のさきの折鶴ふと廻る       篠原梵

>>〔20〕ふゆの春卵をのぞくひかりかな    夏目成美
>>〔19〕オリヲンの真下春立つ雪の宿     前田普羅
>>〔18〕同じ事を二本のレール思はざる    阿部青鞋 
>>〔17〕死なさじと肩つかまるゝ氷の下    寺田京子
>>〔16〕初場所や昔しこ名に寒玉子     百合山羽公
>>〔15〕土器に浸みゆく神酒や初詣      高浜年尾
>>〔14〕大年の夜に入る多摩の流れかな   飯田龍太
>>〔13〕柊を幸多かれと飾りけり       夏目漱石
>>〔12〕杖上げて枯野の雲を縦に裂く     西東三鬼
>>〔11〕波冴ゆる流木立たん立たんとす    山口草堂
>>〔10〕はやり風邪下着上着と骨で立つ    村井和一
>>〔9〕水鳥の夕日に染まるとき鳴けり    林原耒井
>>〔8〕山茶花の弁流れ来る坂路かな     横光利一
>>〔7〕さて、どちらへ行かう風がふく     山頭火
>>〔6〕紅葉の色きはまりて風を絶つ     中川宋淵
>>〔5〕をぎはらにあした花咲きみな殺し   塚本邦雄
>>〔4〕ひっくゝりつっ立てば早案山子かな  高田蝶衣
>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ     竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ     長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 伊太利の毛布と聞けば寝つかれず 星野高士【季語=毛布(冬)】
  2. 横顔は子規に若くなしラフランス 広渡敬雄【季語=ラフランス(秋)…
  3. 郭公や何処までゆかば人に逢はむ 臼田亜浪【季語=郭公(夏)】
  4. 赤き茸礼讃しては蹴る女 八木三日女【季語=茸(秋)】
  5. こほろぎや女の髪の闇あたたか 竹岡一郎【季語=蟋蟀(秋)】
  6. 眼のなれて闇ほどけゆく白牡丹 桑田和子【季語=白牡丹(夏)】
  7. 自転車の片足大地春惜しむ 松下道臣【季語=春惜しむ(春)】
  8. 卒業の歌コピー機を掠めたる 宮本佳世乃【季語=卒業(春)】

おすすめ記事

  1. 【新連載】漢字という親を棄てられない私たち/井上泰至【第1回】
  2. 【連載】加島正浩「震災俳句を読み直す」第8回
  3. 梅雨の日の烈しくさせば罌粟は燃ゆ 篠田悌二郎【季語=梅雨・罌粟(夏)】
  4. 【冬の季語】咳く
  5. 絵葉書の消印は流氷の町 大串章【季語=流氷(春)】
  6. 前をゆく私が野分へとむかふ 鴇田智哉【季語=野分(秋)】
  7. つゆくさをちりばめここにねむりなさい 冬野虹【季語=露草 (秋)】
  8. 【春の季語】春泥
  9. 海くれて鴨のこゑほのかに白し 芭蕉【季語=鴨(冬)】
  10. 鳥帰るいづこの空もさびしからむに 安住敦【季語=鳥帰る(春)】

Pickup記事

  1. 高梁折れて頬を打つあり鶉追ふ      三溝沙美【季語=鶉(秋)】
  2. 膝枕ちと汗ばみし残暑かな 桂米朝【季語=残暑(秋)】
  3. 皹といふいたさうな言葉かな 富安風生【季語=皹(冬)】
  4. 【書評】茨木和生 第14句集『潤』(邑書林、2018年)
  5. 【第22回】新しい短歌をさがして/服部崇
  6. 卒業す片恋少女鮮烈に 加藤楸邨【季語=卒業(春)】
  7. 大根の花まで飛んでありし下駄 波多野爽波【季語=大根の花(春)】 
  8. 而して蕃茄の酸味口にあり 嶋田青峰【季語=トマト(夏)】
  9. 【連載】「ゆれたことば」#5「避難所」千倉由穂
  10. 葉桜の夜へ手を出すための窓 加倉井秋を【季語=葉桜(夏)】
PAGE TOP