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茄子もぐ手また夕闇に現れし 吉岡禅寺洞【季語=茄子(秋)】


茄子もぐ手また夕闇に現れし

吉岡禅寺洞
『吉岡禅寺洞 俳句全集』暁光堂俳句文庫


読んで意味のわからない句ではない。が、「また夕闇に現れし」という措辞からは、おもわず、茄子泥棒!などと不穏なことを思ってしまうのだけれど、実際のところは、家庭菜園になった茄子を夕餉のおかずにするため収穫している家人の手かもしれないし、昼間の仕事を終え、次々と手伝いに畑にはいる人々の手を詠んだという解釈も可能かもしれない。この句のポイントは、シンプルに茄子をもぐ手のみにフォーカスし、それを夕闇に配置してあることだろう。自分の手をとらまえて「もぐ手また・現れ」とは言わないだろうから、この手は他者かつもぐ回数か人数が複数と思われる。しかし、それしか言っていないので、それ以上の内容の構築は読者に任されてもいる。掲句は大正5年の作。禅寺洞はまだ20代の若さで、「ホトトギス」に投句を初めて2、3年というくらいの頃。解説を書いた生駒大祐は、この頃の禅寺洞の大正「ホトトギス」のスタイルからの影響に言及しつつ、「対象を異化して世界に対するゴツゴツした存在感を付与し、季語と対象との違和を句にする詠み方」と述べているのだけれど、その意味で言えば、「茄子」という「題」に対する禅寺洞なりの試行錯誤の結果であったと言えるかもしれないし、この大胆な表現の取捨選択の傾向が、すでに後年の作風を予感させているようにも感じられる。

橋本直


『吉岡禅寺洞 俳句全集』暁光堂俳句文庫はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


【橋本直のバックナンバー】

>>〔100〕汽車逃げてゆくごとし野分追ふごとし 目迫秩父
>>〔99〕天高し深海の底は永久に闇     中野三允
>>〔98〕なんぼでも御代りしよし敗戦日   堀本裕樹
>>〔97〕おやすみ
>>〔96〕もの書けば余白の生まれ秋隣   藤井あかり
>>〔95〕利根川のふるきみなとの蓮かな  水原秋櫻子
>>〔94〕夏痩せて瞳に塹壕をゑがき得ざる  三橋鷹女
>>〔93〕すばらしい乳房だ蚊が居る     尾崎放哉
>>〔92〕方舟へ行く一本道の闇      上野ちづこ
>>〔91〕とらが雨など軽んじてぬれにけり    一茶
>>〔90〕骨拾ふ喉の渇きや沖縄忌      中村阪子
>>〔89〕而して蕃茄の酸味口にあり     嶋田青峰
>>〔88〕洗顔のあとに夜明やほととぎす   森賀まり
>>〔87〕六月を奇麗な風の吹くことよ    正岡子規
>>〔86〕梅雨の日の烈しくさせば罌粟は燃ゆ 篠田悌二郎
>>〔85〕麦からを焼く火にひたと夜は来ぬ 長谷川素逝
>>〔84〕「ワイシャツのアイロンがけをしてほしい」夫に言われた妻の衝撃 片岡絢
>>〔83〕体内の水傾けてガラス切る      須藤徹
>>〔82〕湖の水かたふけて田植かな     高井几董
>>〔81〕スタールビー海溝を曳く琴騒の   八木三日女

>>〔80〕鯛の眼の高慢主婦を黙らせる    殿村菟絲子
>>〔79〕あたゝかな雨が降るなり枯葎     正岡子規
>>〔78〕目つぶりて春を耳嚙む処女同志     高篤三
>>〔77〕名ばかりの垣雲雀野を隔てたり     橋閒石 
>>〔76〕春宵や光り輝く菓子の塔       川端茅舎  
>>〔75〕特定のできぬ遺体や春の泥       高橋咲
>>〔74〕炎ゆる 琥珀の/神の/掌の 襞/ひらけば/開く/歴史の 喪章 湊喬彦
>>〔73〕杜甫にして余寒の詩句ありなつかしき  森澄雄
>>〔72〕野の落暉八方へ裂け 戰爭か     楠本憲吉
>>〔71〕寒天煮るとろとろ細火鼠の眼    橋本多佳子
>>〔70〕ばばばかと書かれし壁の干菜かな            高濱虚子
>>〔69〕大寒の一戸もかくれなき故郷     飯田龍太
>>〔68〕付喪神いま立ちかへる液雨かな     秦夕美
>>〔67〕澤龜の萬歳見せう御國ぶり      正岡子規
>>〔66〕あたゝかに六日年越よき月夜    大場白水郎
>>〔65〕大年やおのづからなる梁響      芝不器男
>>〔64〕戸隠の山より風邪の神の来る    今井杏太郎
>>〔63〕天籟を猫と聞き居る夜半の冬     佐藤春夫
>>〔62〕暗闇の眼玉濡さず泳ぐなり     鈴木六林男
>>〔61〕ラーメン舌に熱し僕がこんなところに 林田紀音夫
>>〔60〕冬真昼わが影不意に生れたり     桂信子

>>〔59〕雛飾る手の数珠しばしはづしおき 瀬戸内寂聴
>>〔58〕枯芦の沈む沈むと喚びをり      柿本多映
>>〔57〕みかんいろのみかんらしくうずもれている 岡田幸生
>>〔56〕あきかぜの疾渡る空を仰ぎけり  久保田万太郎
>>〔55〕自動車も水のひとつや秋の暮     攝津幸彦
>>〔54〕みちのくに生まれて老いて萩を愛づ  佐藤鬼房
>>〔53〕言葉がわからないので笑うてわかれる露草咲いてゐる 種田山頭火
>>〔52〕南海多感に物象定か獺祭忌     中村草田男
>>〔51〕胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋    鷹羽狩行
>>〔50〕ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ  なかはられいこ
>>〔49〕彎曲し火傷し爆心地のマラソン    金子兜太
>>〔48〕蜩やチパナスのあたり雲走る     井岡咀芳
>>〔47〕日まはりは鬼の顔して並びゐる    星野麦人
>>〔46〕わが畑もおそろかならず麦は穂に  篠田悌二郎
>>〔45〕片影にこぼれし塩の点々たり     大野林火
>>〔44〕もろ手入れ西瓜提灯ともしけり   大橋櫻坡子
>>〔43〕美しき緑走れり夏料理        星野立子
>>〔42〕遊女屋のあな高座敷星まつり     中村汀女
>>〔41〕のこるたなごころ白桃一つ置く   小川双々子
>>〔40〕海女ひとり潜づく山浦雲の峰     井本農一

>>〔39〕太宰忌や誰が喀啖の青みどろ    堀井春一郎
>>〔38〕草田男やよもだ志向もところてん    村上護
>>〔37〕水底を涼しき風のわたるなり     会津八一
>>〔36〕棕梠の葉に高き雨垂れ青峰忌    秋元不死男
>>〔35〕谺して山ほととぎすほしいまゝ    杉田久女
>>〔34〕夕立や野に二筋の水柱       広江八重桜
>>〔33〕雲の上に綾蝶舞い雷鳴す      石牟礼道子
>>〔32〕尺蠖の己れの宙を疑はず       飯島晴子
>>〔31〕生前の長湯の母を待つ暮春      三橋敏雄
>>〔30〕産みたての卵や一つ大新緑      橋本夢道
>>〔29〕非常口に緑の男いつも逃げ     田川飛旅子
>>〔28〕おにはにはにはにはとりがゐるはるは  大畑等
>>〔27〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ   波多野爽波
>>〔26〕花の影寝まじ未来が恐しき      小林一茶
>>〔25〕海松かゝるつなみのあとの木立かな  正岡子規
>>〔24〕白梅や天没地没虚空没        永田耕衣
>>〔23〕隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな  加藤楸邨
>>〔22〕幻影の春泥に投げ出されし靴     星野立子
>>〔21〕餅花のさきの折鶴ふと廻る       篠原梵

>>〔20〕ふゆの春卵をのぞくひかりかな    夏目成美
>>〔19〕オリヲンの真下春立つ雪の宿     前田普羅
>>〔18〕同じ事を二本のレール思はざる    阿部青鞋 
>>〔17〕死なさじと肩つかまるゝ氷の下    寺田京子
>>〔16〕初場所や昔しこ名に寒玉子     百合山羽公
>>〔15〕土器に浸みゆく神酒や初詣      高浜年尾
>>〔14〕大年の夜に入る多摩の流れかな   飯田龍太
>>〔13〕柊を幸多かれと飾りけり       夏目漱石
>>〔12〕杖上げて枯野の雲を縦に裂く     西東三鬼
>>〔11〕波冴ゆる流木立たん立たんとす    山口草堂
>>〔10〕はやり風邪下着上着と骨で立つ    村井和一
>>〔9〕水鳥の夕日に染まるとき鳴けり    林原耒井
>>〔8〕山茶花の弁流れ来る坂路かな     横光利一
>>〔7〕さて、どちらへ行かう風がふく     山頭火
>>〔6〕紅葉の色きはまりて風を絶つ     中川宋淵
>>〔5〕をぎはらにあした花咲きみな殺し   塚本邦雄
>>〔4〕ひっくゝりつっ立てば早案山子かな  高田蝶衣
>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ     竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ     長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規


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