さよなら、ウォーホル まるごとのトマトを齧る/福田若之【季語=トマト(夏)】

2026年6月から【木曜日】は2か月交代で〈大学俳句会〉のみなさんにご執筆いただくことになりました。トップバッターは愛媛大学(愛媛県・松山市)の「愛媛大学俳句研究会」です。6回目は、野上翠葉さん、ふたたび。


さよなら、ウォーホル まるごとのトマトを齧る
福田若之
『自生地』


野上翠葉(愛媛大学俳句研究会)


シルクスクリーンでは一枚の写真をひきのばして糊料をかけてシルクに移し、そのうえにローラーをまわせばいい。インクはシルクを通るが糊料は通らない。こんなふうにして、刷るたびに多少の違いはあっても同じイメージをつくることができる。じつに単純だった―速くてしかも偶然性がある。[i]

掲句において「さよなら」と告げられるウォーホルが自身の用いた技法であるシルクスクリーンについて述べた一節だ。この複製技術で冒頭の《マリリン・ディプティック》や《キャンベルのスープ缶》などの数々の作品を生みだしたウォーホルは、大量生産・大量消費時代の社会、すなわち二十世紀の象徴である。なにを隠そう、掲句は週刊俳句 Haiku Weekly: 10句作品テキスト 福田若之 さよなら、二十世紀。さよなら。という連作の表題句である。この連作は『自生地』にいくらかの編集を加えられたのちに、福田の言葉を借りるならば「書き写されて」いる。

ウォーホルの言う「同じイメージをつくる」技術について「芸術作品は、原理的には、つねに複製可能であった」という言葉をのこしたのはヴァルター・ベンヤミンであった。『複製技術時代の芸術』に収録された「複製技術の時代における芸術作品」という論考において、彼は写真と映画という芸術をすばやく大量に複製するメディアが登場したあとの芸術作品について、ほんものをほんものたらしめる性質を「アウラ」と呼び、以下のように述べる。

どれほど精巧につくられた複製のばあいでも、それが「いま」「ここ」にしかないという芸術作品の一回性は、完全に失われてしまっている。(・・・)ここで失われてゆくものをアウラという概念でとらえ、複製技術のすすんだ時代のなかでほろびてゆくものは作品のアウラである、といいかえてもよい。[ii]

この稿ではベンヤミンのこの言葉を念頭に置きながら、福田の連作をウォーホルの絵画とともに見ていくことで、福田が二十世紀のなにに対して「さよなら」を告げているのかを考えたい。

ウォーホルは元々はデザイナーであり、その後にアーティストへと転身した。1962 年6 月の航空機事故で乗客129 人死亡を伝えるニュース、1962年8月のマリリン・モンロー死亡のニュースをきっかけとして、そのキャリア初期に『死と惨劇』シリーズを制作している。事故、刑務所の電気椅子などの写真がシルクスクリーンによって並べられた作品群である。次の絵はともに1963年の《緑の惨劇、10回》と《ラヴェンダー色の惨劇》である。

人間にとって死はそもそも「速くてしかも偶然性のある」ものだが、これらの惨劇の被害者においてはその特性がより暴力的に現れる。そしてこのことはシルクスクリーンという制作のプロセスそのものにおいても表される。これらの死者はマリリン・モンローのように有名ではなく全くの無名である。しかし作品は誰の死かを明らかにしないまま、誰かの死が存在することだけを鑑賞者に見せる。これは〈死者が弾く死んだ木の音夏の星〉において、死によって人間からも楽器からも名前が剥奪され、星に夏という季節だけが存在しているように書かれることとも似ている。夏という季節や星もいつの日か死んで、「死んだ夏」「死んだ星」と呼ばれるのだろうか。日高優はこの『死と惨禍』シリーズに対して以下のように述べる。

ウォーホルの刷りの操作で、事故の死者や自殺者の姿は、細部の鮮鋭さを削ぎ落とされてインクの層に遮られ、不鮮明化されているのだ。(中略)版の刷りという技法がもたらす遮りの効果は、写真が指し示す対象の固有性や出来事の具体性、決定性を後退させ、死一般の次元を垣間見せる。特権的瞬間としてではなく、日常の中で遭遇する無残な出来事として、死はわれわれ観者の眼差しに差し出されている。[iii]

生そのものが芸術でないとしても、その「いま」「ここ」にしかない生の終わりであるという点で個別具体的だったはずの死は、シルクスクリーンによって完全には同じではない形でたやすく増幅され、一般的な死へと回収されることで忘却される。ウォーホルが『死と惨禍』シリーズのなかで原子爆弾をモチーフにしているように、戦争は個別具体的な死が一般的な死に回収・忘却されるその最たる例である。二度の世界大戦、その後の米ソの冷戦、そしてその裏に熱い戦争の数々があった二十世紀は、戦争の世紀であった。連作の最後に〈原爆の音を知らず——そこここに秋が近づく〉〈昭和天皇の顔とかわからないや夕焼け〉という、「知らず」「わからない」と否定形が使われた二句が置かれていることは示唆的で、現在から遠く離れた第二次世界大戦は忘却しうる対象であるかのように書かれる。その一方で季語がどちらも晩夏、つまり二度の原爆投下や終戦を目前とした季節であることも見逃してはならない。日本人にとって戦争が、たとえこれらの句の作中主体のように忘却しようとしても、立ち返らざるを得ない対象であることを逆説的に示している。ここまで同列に語ってきたが、この二句における書きぶりや態度はむしろ正反対だ。〈原爆の音を知らず——そこここに秋が近づく〉において、原爆が落とされた瞬間の光や音や爆風を我々が知らないことは事実である(ふたたび知るようなこともあってはならない)。せざるをえない沈黙「——」のあとの「そこここ」には、盆に帰ってくる死者とともに生者が当時に思いを馳せるような静謐さがある。うってかわって〈昭和天皇の顔とかわからないや夕焼け〉ではあえて軽薄な口調が選ばれ、戦中までは現人神、戦後でも日本の象徴であった存在を「とか」を用いることで矮小化している。繰り返しえない原爆投下とちがい、昭和天皇の顔はいつでも調べることができるはずだが、主体はそのこともしない。旭日旗の太陽のようにも見えてくる「夕焼け」は、童謡『夕焼け小焼け』『赤とんぼ』で歌われるような幼さを口調に加えて演出している。この軽薄さは〈父かと思う花火中止の放送を〉にも見られる。父は天皇の、花火中止の放送は玉音放送の暗喩と見ることができ、家父長制の国家において父として機能してきた天皇を、ここでも先ほどの「とか」に似た「かと思う」という表現で、ふざけながら相対化する。

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