葉牡丹に恋が渦巻く金曜日
浜明史
葉牡丹はヨーロッパ原産のアブラナ科の多年草。キャベツの一種を鑑賞用に改良したもので、日本には江戸時代に渡来した。名前の由来は、葉を牡丹の花に見立てたことから。寒さに強いため、冬場の花壇に植えられ、正月の飾りにも用いられる。色は、紅紫色系と白色系がある。葉先が縮れて重なり合い、円形状に巻かれている。中心部と外側との色の違いが美しさを引き立たせる。
掲句は、中心部に向かって巻き込むように開いている葉牡丹を渦と見立てた上で〈恋の渦巻く〉という言葉を引き出している。葉牡丹の渦はよく詠まれるのだが、金曜日の恋に展開させたところに面白さがある。当時流行っていた歌謡曲からヒントを得たのか、それとも金曜日の夜の恋人たちを見て詠んだのか。葉牡丹の形状と金曜日の恋の騒めきが響き合う句である。ちなみに私も〈葉牡丹の紫締まる逢瀬かな 央子〉という句を詠んでいる。待ち合わせ場所での緊張感から生まれた句である。そう考えると〈金曜日〉の句は、駅前の恋人たちを見て詠んだのかもしれない。駅前の花壇には、葉牡丹が植えられているものである。
作者は、「風土」の元幹部同人で石川桂郎に師事していた。桂郎亡きあとは、同門で盟友の神蔵器に師事。「風土」の現主宰南うみを氏は、明史を通じて「風土」に入会している。元舞鶴俳句協会会長、「龍」主宰。句集に『ちぎり紙』(昭和58年)、『水平線』(昭和59年)、『烏瓜』(平成1年)、『游』(平成2年)『人日』(平成12年)がある。平成20年死去。
石川桂郎は、浜明史に強い信頼を寄せていた。〈明史来ぬひようと提げきて烏瓜 桂郎〉。神蔵器の〈西行のさくらみにゆきたまへるか 器〉は、明史への追悼句である。南うみを氏もまた高齢となった明史を〈栗ご飯こぼす齢となられけり うみを〉と詠み、労わっている。浜明史主宰の「龍」は、舞鶴を拠点とした結社で地元からの支持を集めた。また、俳人協会から出版された『若丹吟行案内』の著者代表として、若丹の見所の紹介や例句の収集と編纂をしている。
明史は、舞鶴という地域に根差した作家であるため、海を詠んだ句が多い。
舳先みな沖向く船の三日かな
常節を噛み初任地の磯恋へり
月出づと舟屋にとどく望の潮
舟宿のうらに猿出づ枇杷の花
境涯や生活が見える詠み方は、桂郎の影響を思わせつつも独特の感性がある。
初鏡手話試みて教師たり
重陽やベッドの父の口達者
白靴の長襦彦や耳順過ぎ
加減よき結び昆布や夫婦箸
桂郎に一盞献ず衣被
珍しい季語も説得力のある描写を用い、歳時記にも採用された。
怒鳴り声野にひろごれり木呪
僧兵の裔は美男よ竹伐会
オロシアに政変なんばんぎせる咲く
人間味溢れる詠みぶりは、今も色褪せることがない。
酸素吸ふ人日の月まんまるく
蒟蒻の器量よろしき針供養
饅頭に巣籠る鶴や四月馬鹿
八朔や仏壇の中こゑのして
十月の花嫁少し濡れて着く
白菜は藁の鉢巻野菜舟
鋤焼や和気藹藹の喧嘩箸
飄々とした人柄を思わせる作風は、「手前の面(つら)のある句をつくれ」という桂郎の言葉が作句の根底に沁みついているからであろう。
葉牡丹に恋が渦巻く金曜日 浜明史
金曜日になると心がざわつくものである。恋人に逢えるのか逢えないのか。土日が休みの会社に勤務していると、週末だけが恋の時間となる。金曜日の夜に食事をして朝まで一緒に過ごし、土曜日には少し遠出をする。あるいは、土日のデートの約束は金曜日までにしなければならないという暗黙の了解もあるだろう。学生となれば、土曜日は午前中に授業が終わるため、午後に逢う約束をする。金曜日は、男性は電話をするべきか悩み、女性は連絡を待つ日なのである。
二十代も終わりの頃、金曜日にしか逢えない恋人がいた。彼は都市計画の会社に勤務しており、平日は出張が多く、金曜日に戻ってくる。土日は地元のサッカーチームの練習や試合に出掛けて行ってしまう。私もまた、平日は朝早くから夜遅くまで仕事をしていて、土日は俳句の会に参加していた。お互いにやりたいことを持っていたため共感し合い、恋仲となったのだが、逢えない日が続くと淋しさがつのる。私の勤務していた会社は、金曜日はノー残業デーで、昼休憩を終えると普段の三倍増しの速度で作業を進めてゆく。日脚が伸びた1月の定時退社時刻は少しだけ空に明るさが残っている。彼の住む町の駅近くの喫茶店で連絡を待つ。事前に待ち合わせ時間を決めていても時間通りには来ない人であった。まして、退社時刻を過ぎても連絡がない場合は、逢えるのかどうかも分からない。逢えても逢えなくても、金曜日だけはいつもより綺麗に着飾って、どきどきしながら待っていたのだ。喫茶店の窓から見える葉牡丹だけが私の秘かなときめきと孤独を知っていた。待つという時間は、期待と不安が入り混じった美しい時間で、逢えなくてもその緊張感で心が満たされた。金曜日に逢いたいと想える人がいること、それだけで単調な毎日が華やいだ。
ある年の誕生日のことである。大寒に相応しく小雪が舞っていた。紫の葉牡丹は粉砂糖をまぶしたケーキのように渦を巻いた。夜の8時を過ぎた頃に「今日は無理」というメールが届く。一人で過ごす誕生日を少しでも華やかなものにしたいと考え、喫茶店を出た。ワインバーの前で佇んでいると、「よかったら一緒に飲みませんか」とギターを背負った青年に声を掛けられた。私は何かを表現しようとする人が好きだ。「どんな曲を弾くの?」と聞いた。「本当はハードロックが好きなんだけど、ボーカルが甘い恋の歌しか作らないので、ちゃらい曲を弾いてます」。そこまで聞き出してしまった以上は飲むしかない。朝まで音楽の話と詩の話で盛り上がった。淋しくも少し楽しい誕生日となった。
ギタリストは不思議な人で、普段は連絡が取れないのだが、私が恋人とすれ違った日にかぎって「飲みませんか」というメールがくる。私の淋しさを埋めてくれる年下の素敵な男友達に同棲中の彼女がいることを知ったのは、夏の頃である。結婚を望む彼女からギターを諦めて就職するよう迫られていること、部屋では飲酒を禁止されていることなどの理由から息が詰まってしまい、金曜日の夜はバンドの練習の後に街をうろついていたらしかった。ギタリストの彼女に申し訳ないという気持ちと恋人から結婚をほのめかす発言があったことなどもあり、「もう逢うのはやめよう」と告げた。
だが、半年後の冬にまた、ワインバーの前で佇んでいるところに声を掛けられた。二人とも大笑いである。彼女は結局、見合いをするため故郷に戻ってしまったらしい。私もまた恋人の仕事が忙しく、結婚の話は消えてしまっていた。「君が淋しい時だけで構わないから、また飲もうよ」と言われ、ギタリストとの交流は復活し、以前よりも親しくなった。ライブも見に行った。実は人気者であった。
都市計画会社勤務の恋人はプライドの高い人だった。正月の三日に突然届いた「今日逢えない?」というメールに対し「実家に戻っているから無理」と返信した。「君に逢うために、どれだけ苦労して予定を空けたと思っているんだ」「あらかじめ言ってくれていたら空けておいたのに」。そんなやりとりの後に連絡は途絶えた。春になって機嫌が直った恋人と久しぶりに逢ったものの「俺は忙しいのに逢ってやっているのだから、俺に合わせろ」と言われ、傷ついた。夏の頃には、呼び出されて夜の11時に部屋まで逢いに行ったのに、マンションの前で2時間も待たされた。仕事のトラブルで家に帰る予定が遅れたとのこと。秋には海に行く約束が当日にキャンセルされ、一人で湘南の海を眺めた。夕方、「6時までに上野に来られるか」というメールがあったが「今、藤沢なので7時には行けます」と返信すると「もういい」という回答。そんなこんなでまた冬がきた。
誕生日から数日過ぎた金曜日のことである。恋人に「いつもの喫茶店で待ってます」とメールをしたのは月曜日である。なんの返信も貰えないまま、綺麗に着飾って珈琲を飲んでいた。光沢のある黒い飲み物がカップの中で揺らめき、葉牡丹のように締まって見えた。今日も逢えないだろうという諦めと共に。するとギタリストから「とびっきりの赤ワインをご馳走するから逢おうよ」とのメールがきた。音楽雑誌に「噂のギタリスト」として掲載されたとかで、本人にとってもお祝いの日だったらしい。「すぐ行く」とメールを打ったところで、恋人から「終電に間に合えば深夜の1時頃に逢えるかも」とのメールがあった。「ごめんなさい。急用が出来たので逢えません」と返信した。プライドの高い彼の気分を害したことは言うまでもない。私は結局、ギタリストの方を選んだのだから。
葉牡丹の渦は、さまざまな想いを抱き込んで濃い色となる。以前の私ならば、ギタリストの誘いを断って待っていたであろう。恋人からの曖昧なメールを拒否した時、自分の気持ちにはっきりと気付いた。ギタリストの奏でるギターの音色は葉牡丹の渦のようで、深く深く、私の心を巻き込んでいたのだ。将来のこととか結婚のこととか、どうでも良くなって、もう一度だけ最後の青春に向かって走っていった。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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