
かひやぐら息苦しきは腕枕
野村茶鳥
(恋の句会作品集「愛鍵」より)
2026年5月4日、文学フリマ42出店作品集「愛鍵」からの1句である。先週も紹介したが、「愛鍵」は、恋の句会参加者27名による恋の俳句作品集である。作者の茶鳥さんは、恋の句会の一つ「愛の火曜日」が開催されている荻窪の屋根裏バル鱗kokeraの店主だ。今回の文学フリマ出店企画「愛鍵」は、鱗kokera「愛の火曜日」句会のメンバーが中心となり、出版に至った。茶鳥さんは、文字校正の担当であったが、結果的に入稿作業まで行って頂いた。さらには「愛鍵」の宣伝及び店頭販売まで。「愛鍵」は、茶鳥さんの多大なるご尽力により成功を収めたと言っても過言ではない。私自身、病気治療中であったため、かなり頼ってしまったが、逆に頼って良かったと思っている。茶鳥さんにお願いしたからこそ、物事がすんなりと先に進んだのだ。素早い判断力と要領の良さ、決して頑固ではない適度な拘り方も作業に正確さをもたらした。茶鳥さんの鮮やかな手際は、俳句に対しても言える。
茶鳥さんは、熊本大学在学中に「未来図」同人であった首藤基澄教授の指導により俳句を始め、「未来図」に入会。結婚後は名古屋に移住し、「未来図」愛知支部に所属。平成12年に、未来図新人賞を受賞。ところが、受賞後まもなく「家庭と仕事に専念したい」という理由で退会。ちなみに私は、その二年後に「未来図」に入会した。平成十六年の「未来図20周年記念号」には、過去五年間の新人賞受賞者特集として茶鳥さん(当時は小澄佳緒理の名)の句と言葉が掲載されている。「俳句を作るようになって十年経った頃、自分の『狭さ』に気づき始めた。視野も行動範囲も」。そのため、「俳句が詠めなくなった」とのこと。
同ページに記載された愛知支部長の小池昭氏の「私達のかぐや姫へ」と題した小澄佳緒理小論によれば、「繊細で鋭くまた時には異世界めいた秀句をスラスラ作る人だった」という。突然の退会については「今になって考えると、彼女にもあの時期人に言えない悩みが一杯あったんだろうと思う」と述べている。引き留められなかった不甲斐なさを「あの人はかぐや姫だったんだ」と無理に自分に言い聞かせて見送ったという。最後に「何時かきっと帰ってきてね」と語りかけ、文章を結んでいる。小澄佳緒理さんの写真の美しさもさることながら、愛知支部長の愛情溢れる文章が話題となり、その後の「未来図」では、伝説のかぐや姫として長く語り継がれていた。※「未来図」は令和2年に終刊。
私が茶鳥さんと出会ったのは、「鱗kokera」がオープンした令和4年のことだった。その前に、クラウドファンディングに少額を寄付し、何度かメールのやり取りをしていた。元「未来図」会員であること、熊本支部に在籍し、元「未来図」の中村かりんさんとは、熊本大学時代の同級生で、永田満徳さんは先輩であることなどの情報を得ていた。鱗kokeraがオープンして半年ぐらいが経った頃であろうか、これまた元「未来図」の大久保昇さんに「茶鳥さんは、あの伝説のかぐや姫なのですよ」と教えて頂き、驚愕した。あの伝説のかぐや姫こと小澄佳緒理は、数年間のブランクを経て、令和2年に「南風」に入会し、野村茶鳥という名で俳句創作を再開していたのだ。私は心のなかで叫んだ。「小池支部長、戻ってきましたよ。かぐや姫が」と。
その茶鳥さんは、令和5年には「麒麟」にも入会し、鱗kokeraにてカレー句会を開催。私もその流れに便乗する形で「愛の火曜日」句会を開催することになった。気がつけば、鱗kokeraは毎日何かしらの句会かイベントが入っている店になっていた。ジャンルも俳句に限らず、連句の会、川柳の会、短歌の会、詩人の会など。研究会や読書会なども開催されている。さまざまな表現形式の会に関わることで、茶鳥さんの表現の幅も広がっていった。今年に入ってからは、川柳結社「蜂」にも入会したとのこと。気にしていた視野の狭さを吹き飛ばすかのような勢いで言葉と向き合っている。
茶鳥さんのように飲み込みが早く、要領の良い方というのは時に、物足りなさに襲われることがある。人は上手くできないからこそ上手くなれるように頑張ることができる。はじめから上手い人は、目指すものを見失いがちになる。かぐや姫の今回の俳句世界への滞在期間はどのくらいなのかと不安に思ってしまうことがある。また急にいなくなってしまうのではないかという不安だ。だが今回は、鱗kokeraに集う刺激的な俳句仲間に囲まれて、しばらくは滞在してくれそうである。かぐや姫が月に帰らないよう、ぜひお店に足を運んでいただきたい。
中村かりんによる【特別寄稿】屋根裏バル鱗kokera はこちらから↓↓↓
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