
【第1席】
俳句を楽しむ人に、落語も楽しんでもらうおうという連載です。俳句と落語には多くの共通点があります。俳句と落語の重なる部分を語りつつ、この噺を、この人を聴いてみたいと思ってもらえる落語ガイドを目指します。
最初に紹介するのは、「すみれ荘二〇一号」という演目。人気・実力とも東京落語界の先頭集団に位置する柳家喬太郎の新作落語です。いきなり新作落語かよと思われたかもしれませんが、この噺を選んだのには理由があります。落語にとって季節がいかに大切かを伝えてくれる一席だからです。
「すみれ荘二〇一号」のあらすじを紹介しましょう。
東京の女子大に通う裕美子は別の大学に通う彼氏と同棲しています。20歳になった彼女は田舎の母親に無理矢理に見合をさせられます。まだ結婚など考えていなかった裕美子ですが、10歳年上の地方公務員との見合いによって心が揺れます。というのも、同棲相手の言動にずっとある疑惑を抱いていたからです。それに気づかないふりをしてきた彼女ですが、見合い相手の裏表のないまっすぐな人間性に触れ、同棲解消を決意します。
見合いから戻った裕美子が同棲相手に疑惑を突きつけます。
「前からおかしおかしいとは思ってたんだ。あなた落研ね」
落研(オチケン)は大学の落語研究サークルです。
「ふざけんなよ、勘弁してくれよ。人間扱いしてくれよ」と苦笑する男に、裕美子は次々と状況証拠を示し、ついには男も認めざるを得なくなります。
「そうだよ落研だよ」
裕美子は悲鳴に近い声を上げます。「やっぱりそうなんでしょ。汚い。触らないで、うつる」。さんざんな言われようですが、男は反撃に転じます。
「裕美子、お前も落研だろ」
男が裕美子の落研所属を見破ったいきさつはこの噺の笑いどころなので、ここでは伏せておきます。
「落研だよ。女で若くて落研。三重苦だよ」。裕美子は絞り出すように答えます。
かくも低い落研に対する評価は、若い人には理解しにくいかもしれません。ですがこの噺の背景には、日本大学の落語研究会に所属し、関東大学対抗落語選手権で優勝するほど落語にのめり込んだ喬太郎の体験があります。昭和の終わり、大学生もバブルに踊りました。その明るい狂騒から遠く離れたイケてない場所が落研でした。「悪いこと何にもしていないのに十字架背負っちゃったみたいな青春」(裕美子のセリフ)が落研学生の自己認識だったのです(もちろん、大げさに言っています)。
二人とも落研なら気持ちが分かり合えるから、と関係継続を望む男に裕美子は、
「二人ともだからダメなんじゃん」と落研カップルに待つ、呪われた未来を予言します(ここも噺で楽しんでください)。
今夜この部屋を出ていくと宣言する裕美子は、最後に一つの提案をします。
「私ね、落語好きなんだ。これからもたぶんずっと好き。あなたもそうだよね。今日で終わりだけどさ……、毎年、春夏秋冬の1の日……、どこにいても、世界の裏側にいても……、同じ落語、聞こ。冬は1月か。『初天神』だね。2、3、4月ついたち、『長屋の花見』だね。5,6,7月のついたちは『船徳』だ。10月のついたちは『野ざらし』。どこにいても、同じ落語を必ず聞こうね」。涙声で訴える裕美子に、男が憎まれ口をたたきます。「なに言ってんだよ、秋は『目黒の秋刀魚』だよ」。
こうしてあらすじを紹介すると、わりとシリアスなネタに思えるかもしれませんが、「すみれ荘二〇一号」は爆笑の絶えない噺です。裕美子の母、見合いを仲介する市会議員の吉川、そして見合い相手の3人が揃ってトンチンカンで、際どい破礼(エロ)要素もあります。にもかかわらず、あるいはそのコントラストゆえに、春夏秋冬の同じ日に同じ落語を聞こうという裕美子のセリフに、落語ファンは鼻の奥がツンとしてしまうのです。そして男の「秋は『目黒の秋刀魚』だよ」に膝を打つのです。
このやりとりによって、二人がどれほど落語を愛しているかを客席の落語ファンは了解します。俳人が立春とともに歳時記を春に持ち替え、冴返る屋外で白息を吐きながら早春の季語を探すように、立春を迎えた頃の落語ファンは「今年も(春風亭)一之輔の『花見の仇討』を聴きたい」と落語会のチケット情報をあさり、寄席の出演者をチェックします。一部のホール落語会や独演会は演目が予告されますが、寄席を含め多くの高座は何と出会えるか分かりません。それだけに、その季節のお目当ての噺に巡り合う喜びは、俳人が吟行で石鹸玉や蝌蚪の紐を見つけた興奮に似ています。
そう、裕美子と男は、俳句沼にはまった私たち同様、落語沼にどっぷりつかってしまった二人なのです。ほんとうなら心の深いところで理解し合い、楽しみを存分に共有できるはずなのに、別れなければならない。その理不尽さと切なさが「春夏秋冬の同じ日に同じ落語を聞こう」というセリフに見事に集約されているのです。
寄席や落語会で喬太郎を追いかければ、そのうちに巡り合うでしょうが、こればかりは運です。
動画サイトにはこの演目がいくつも見つかりますが、違法アップロードと思われますのでお勧めできません。CD音源で「柳家喬太郎落語秘宝館4」(ワザオギ)と「キング落語名人寄席 すみれ荘201号室」(キングレコード)に収められています。文化放送が運営する落語専門サブスク(月額税込550円)『らくごのブンカ』(https://rakugo.ch/)にも「すみれ荘二〇一号室」がラインナップされています。


【執筆者プロフィール】
三橋五七(みつはし・ごしち)
蒼海俳句会所属。第70回角川俳句賞次席。中学1年生のときにたまたまラジオで聴いた十代目金原亭馬生の「抜け雀」に衝撃を受けて以来の落語ファン。Xアカウント x.com/Goshichi_57