神保町に銀漢亭があったころ【第124回】髙坂小太郎

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行きつ戻りつ銀漢亭

髙坂小太郎(「銀漢」「牧」所属)


わたくし、「銀漢」俳句会は新参者ですが、銀漢亭のご縁は長い方かと思います。わたくしは、オリックスに長いこと勤めていた関係で、銀漢亭で伊那男主宰と面識を持ちました。オリックスの不動産金融部門ご出身で、部門の優秀な人材の脱藩先のトップもお勤めになられた方とお聞きしてオリックスのOB会場としてお伺いしたことが始まりでした。当時は脱藩組のWさんがアルバイトをしておられ、縁ある方々とお会いできるお店だったからです。

伊那男主宰とはバブル期の懐かしいお話を肴にお酒を味わっておりました。15年以上前になります。当時、配給切符みたいなチケット制でした。小生は亡くなられた大牧広先生のもとで「港」俳句会に所属し俳句を習いだしたばかりでした。

「港」に虹の会という若手(中壮年です。笑)の会があり、仲寒蟬さんと亡くなられた折原あきのさんの取りまとめで、年に2回ほど吟行などをしておりました。そこに天野小石さんが参加されていて、吟行の後の宴会やカラオケで盛り上がったりしておりました。

小石さんが銀漢亭でアルバイトをしておられるとお聞きし、おいでおいでをされ木曜日銀漢亭にお伺いしておりました。今にしてみれば、もっと通っておれば数多の俳人さんとのご縁が深まったのにと悔やんでおります。

俳句の方は港で新人賞を頂戴したものの浅学非才の私ですが、銀漢亭は新しい出会いがあり楽しいお店でした。小石さんと「港」の方々の消息などなど、伊那男主宰と俳句やオリックスの話、また知らない方々との雑談はとても新鮮でした。

大牧先生ご逝去により「港」解散後、どうしようかと思案したおりましたところ、ご縁のある銀漢の末席に参加させていただくことになりました。銀漢亭での俳人諸氏の方々との交流は1年しかありませんが、銀漢亭で繋がった縁の糸です。

銀漢亭ライフを楽しもうとした矢先、この度のコロナ禍で閉店は残念です。しかし伊那男主宰の経営判断は、流石一世を風靡した会社社長の切れ味!名刀の輝き。見事に引き際を誤らず見事につきます。惜しむ声はもとより山々ですが、銀漢亭をわたくしの貴重な人生の思い出の1ページとします。

最後にお詫びです。

銀漢亭に行ったのに、自分で決めた禁酒ルールのために一滴も飲まずに帰った日も何度かありました。ご亭主に売り上げ貢献できずごめんなさい。また、スマホ忘れたり、弁当忘れて主宰に洗って取り置いていただいたり(主宰は綺麗に洗って下さってました)何かとご亭主やスタッフの皆さまにはお手を煩わせてしまいました。すいませ~ん。この場をお借りし感謝とお詫び申し上げます。元オリックス後輩にして「銀漢」所属、絵を描く俳人こと高坂小太郎でした。


【執筆者プロフィール】
髙坂小太郎(こうさか・こたろう)
本名・昇(のぼる)。1958年秋田県大館市生まれ。元オリックス勤務。会社勤めの傍ら洋画を描く。風景の表現手段として俳句を、心身の体幹軸として合気道を学ぶ。故大牧広主宰の「港」終刊後は、「銀漢」と「牧」(仲寒蝉代表)に所属。明治神宮武道場至誠館、合気道二段。



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