
声かけし眉のくもれる薄暑かな
原裕
書店を訪ねると句集より歌集の方が目立つ陳列になっていることが多い。しかも俳句の棚には「俳句入門」がほとんどの面積を占めている。私の生活圏だけかもしれないのだが、俳句をひいき目で見てしまうがゆえにちょっと少ないだけで過敏に反応してしまっているのかもしれない。しかしそういう書店が存在するのは事実である。
単純に、句集より入門の方が売れ筋なのであろう。特に初学の頃は句集を選ぶのが難しく、ぺらぺらめくって一番しっくりきたものを「これでいいのかな」と思いながら買っていた。
その選び方で初めて買ったのが桂信子の『草影』(1990年ふらんす堂刊)。書店に行く前から「この人の句集を買う」と決めて初めて買ったのが星野立子の『月を仰ぐ』(西村和子編、1997年ふらんす堂刊)であった。いずれも大正解。「これでいいのかな」は案外それで良いのかもしれない。
最近ではできる限り図書館を活用している。図書館の句集はラインナップに偏りがあるが、大いなる発見もある。今週の一句は図書館で見つけた『原裕の百句』(原朝子著、2023年ふらんす堂刊)より。生活圏の図書館に置いてある本なら普通買おうと思わないが、これに限っては手元に置いておきたくて入手してしまったという珍しいパターンだ。いつでも図書館で参照できるのに。
声かけし眉のくもれる薄暑かな
『原裕の百句』によるとこの句は須賀川牡丹園(福島県須賀川市)での作。旧知の人が多いはずの状況だったらしい。人との関わりの機微を掬い上げた一句となった。
薄暑が動かない。立夏のきりっとした感じではなく風が通りぬけるような初夏でもない。薄暑の微妙な空気を人物の表情によって描き出している。声をかけた相手の眉がくもるというのは必ずしも好ましい状況ではない。その相手は声をかけた作者が逆光で見えなかったのかもしれないし、名前を思い出そうと必死だったのかもしれない。
いずれにしても関係が良くないからくもったのでないことは薄暑が語っている。汗で空気が少しだけ曇るような空気感が薄暑にはある。しかしそれは決して不快なものではないのだ。
「眉のくもれる」は省略の効いた表現だ。眉が八の字になりかけ、少し困ったような表情になったのだろう。困るの一歩手前の眉の形を「くもれる」で言い留めた。
今年の夏も平年より暑くなるという長期予報が出ている。気象庁が最高気温40℃以上を「酷暑日」と定めた元年となる今年、涼むためにも図書館に通う回数が増えそうな見込みだ。
『葦牙』(1972年刊)所収。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】

【吉田林檎のバックナンバー】
>>〔200〕花衣ぬぐやまつはる紐いろ〳〵 杉田久女
>>〔199〕古き書と旅してゐたり亀鳴けり 廣瀬町子
>>〔198〕落ちさうに咲き咲くやうに落椿 田丸千種
>>〔197〕バスを待つ人と桜を仰ぎをり 黛まどか
>>〔196〕車座にひとり見知らぬ花衣 土肥あき子
>>〔195〕ひとひらの花と乗りたる無人駅 歌代美遥
>>〔194〕地を歩く小鳥の逃げぬ遅日かな 遠藤由樹子
>>〔193〕火の中に草立ち上がる野焼かな 亀井雉子男
>>〔192〕春暁の眠るでもなき刻しばし 吉田成子
>>〔191〕己が傷を舐めて終りぬ猫の恋 清水基吉
>>〔190〕ドッジボールずどんとバレンタインの日 なつはづき
>>〔189〕裏返へりては春の水らしくなり 山口昭男
>>〔188〕【林檎の本#6】川添愛、ふかわりょう『日本語界隈』
>>〔187〕焚火する声が大きくなつてゆく 廣瀬悦哉
>>〔186〕丹頂のくれなゐ黒き寒さかな 飯島晴子
>>〔185〕冬の月かたちあるもの照らしけり 福島せいぎ
>>〔184〕お降りといへる言葉も美しく 高野素十
>>〔183〕駅で飲むコーンスープや十二月 白井飛露
>>〔182〕しぐるるや駅に西口東口 安住敦
>>〔181〕朝の庭けふの落葉のために掃く 片山由美子
>>〔180〕小春日や石を噛み居る赤蜻蛉 村上鬼城
>>〔179〕【林檎の本#5】『会話の0.2秒を言語学する』(新潮社、2025年)
>>〔178〕能登時雨見たさに来る雨男 森羽久衣
>>〔177〕掌に猫が手を置く冬日かな 対中いずみ
>>〔176〕行く秋や抱けば身にそふ膝頭 太祇
>>〔175〕蛇口みな運動会の空を向く 堀切克洋
>>〔174〕うなじてふ寂しきところ稲光 栗林浩
>>〔173〕ぬかるみか葛かわからぬものを踏む 板倉ケンタ
>>〔172〕大鯉のぎいと廻りぬ秋の昼 岡井省二
>>〔171〕紙相撲かたんと釣瓶落しかな 金子敦
>>〔170〕蜻蛉のわづかなちから指を去る しなだしん
>>〔169〕赤富士のやがて人語を許しけり 鈴木貞雄
>>〔168〕コスモスの風ぐせつけしまま生けて 和田華凛
>>〔167〕【林檎の本#4】『言の葉配色辞典』 (インプレス刊、2024年)
>>〔166〕山よりの日は金色に今年米 成田千空
>>〔165〕やはらかき土に出くはす螇蚸かな 遠藤容代
>>〔164〕どうどうと山雨が嬲る山紫陽花 長谷川かな女
>>〔163〕短夜をあくせくけぶる浅間哉 一茶
>>〔162〕蟬しぐれ麵に生姜の紅うつり 若林哲哉
>>〔161〕手のひらにまだ海匂ふ昼寝覚 阿部優子
>>〔160〕はらはらと水ふり落とし滝聳ゆ 桐山太志
>>〔159〕夏蝶や覆ひ被さる木々を抜け 潮見悠
>>〔158〕菖蒲園こんな地図でも辿り着き 西村麒麟
>>〔157〕夏の暮タイムマシンのあれば乗る 南十二国
>>〔156〕かきつばた日本語は舌なまけゐる 角谷昌子
>>〔155〕【林檎の本#3】中村雅樹『橋本鷄二の百句』(ふらんす堂、2020年)
>>〔154〕仔馬にも少し荷をつけ時鳥 橋本鶏二
>>〔153〕飛び来たり翅をたゝめば紅娘 車谷長吉
>>〔152〕熔岩の大きく割れて草涼し 中村雅樹
>>〔151〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
>>〔150〕山鳩の低音開く朝霞 高橋透水
>>〔149〕蝌蚪一つ落花を押して泳ぐあり 野村泊月
>>〔148〕春眠の身の閂を皆外し 上野泰
>>〔147〕風なくて散り風来れば花吹雪 柴田多鶴子
>>〔146〕【林檎の本#2】常見陽平『50代上等! 理不尽なことは「週刊少年ジャンプ」から学んだ』(平凡社新書)
>>〔145〕山彦の落してゆきし椿かな 石田郷子
>>〔144〕囀に割り込む鳩の声さびし 大木あまり
>>〔143〕下萌にねぢ伏せられてゐる子かな 星野立子
>>〔142〕木の芽時楽譜にブレス記号足し 市村栄理
>>〔141〕恋猫の逃げ込む閻魔堂の下 柏原眠雨
>>〔140〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
>>〔139〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
>>〔138〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
>>〔137〕湯豆腐の四角四面を愛しけり 岩岡中正
>>〔136〕罪深き日の寒紅を拭き取りぬ 荒井千佐代
>>〔135〕つちくれの動くはどれも初雀 神藏器
>>〔134〕年迎ふ山河それぞれ位置に就き 鷹羽狩行
>>〔133〕新人類とかつて呼ばれし日向ぼこ 杉山久子
>>〔132〕立膝の膝をとりかへ注連作 山下由理子
>>〔131〕亡き母に叱られさうな湯ざめかな 八木林之助
