湯豆腐の四角四面を愛しけり
岩岡中正
父の若い頃のあだ名は「NHK」だった。真面目な話ばかりをしていたからだ。話題は固いが、話している本人は楽しそうだったので、それはそれでいいのではないかと子ども心に思っていた。最近はそういう特徴をあだ名にすることは難しい世の中である。真面目イコールNHKという捉え方にも物言いが付きそうだ。
湯豆腐の四角四面を愛しけり
湯豆腐(冬)、田楽(春)、冷奴(夏)、新豆腐(秋)など四季を通じて豆腐の季語は存在する。冷奴ならおぼろ豆腐も美味しいが、どの豆腐でもまず思い浮かべるのは直方体のもので、「豆腐は四角である」と断言しても差し支えないであろう。
「四角」にも‘まじめでかたくるしいこと’という意味はあるが、「四角四面」というと‘至極真面目なこと’という真面目の中でも一段上にレベルアップした定義になり、堅苦しさを揶揄するニュアンスも入る。
その「四角四面」を愛するとは、愚直さを愛するということと受け取りたい。豆腐は四角く作られたからその形を保っているだけなのに、そこに生真面目さを見いだす作者こそ誠実そのものであるに違いない。
この愛すべき四角四面は湯豆腐だからこそ愛を感じるのだ。冷奴の四角四面は角があって性格がきつそうである。四角四面の真面目なのだけど中身は熱く、角を感じない。豆腐の話をしているのに、いつしかなりたい人間像の話になっていた。
「愛しけり」と俳句で使うのは一生に一度くらいしかないかもしれない。それだけに難しいが、その一生一度のチャンスを使ってしまうという湯豆腐への愛こそ愛すべきである。
「愛しけり」「愛す」を使った句の成功例をいくつか挙げておく。
雪の夜の紅茶の色を愛しけり 日野草城
菜の花といふ平凡を愛しけり 富安風生
夫愛すはうれん草の紅愛す 岡本眸
ストレートに「愛す」と述べるならどの季語か。長く生きていたら、ある季語や事象にどうにも愛が止まらなくなる時が来るかもしれないし、一生全部好きかもしれない。しばらくの間、好きな季語リストに項目を追加ことはあっても削除することはないだろう。
『文事』(2021年刊)所収。
※「四角」「四角四面」の語義は『広辞苑 第七版』から引用しました。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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