ハイクノミカタ

しろがねの盆の無限に夏館 小山玄紀【季語=夏館(夏)】


しろがねの盆の無限に夏館

小山玄紀

初めての海外旅行はフランスだった。行きの飛行機で荷物のコンテナが経由の空港に置き去りにされ、その便に乗っていた乗客は全員が手荷物だけで空港をあとにした。当時は『地球の歩き方』が出て間もない頃で、世間知らずの大学生が宿も決めずに無謀な旅をよくしたものだ。重い荷物を背負って『地球の歩き方』に載っている宿を一つ一つ訪ね、今夜空室があるかを訪ね歩いた。

その旅では特に安宿だった『アンリⅣ』に一番長く滞在した。ノートルダム寺院の近くで交通の便が良い。ネットで検索してみると今では3つ星の立派なホテルになっていた!30年前は星どころか、シャワーを浴びると寝室が水浸しになるような宿だったのに…。偉くなったもんだなぁ。しみじみ。

 「アンリⅣ」のスタッフとの会話でベルサイユ宮殿に行ったか問われ、まだと答えたら「パリに来た意味がない」と言われた。もともとノープランの旅だったこともあり訪問。当時一番興味があったのは、同宮殿の「鏡の間」で写真を撮るときれいに写るという俗説だった。フィルムを現像してみたところ、いつもきれいな友人はより美しく、それなりの私はまあそれなりにという出来だった。ルーブル美術館のミロのヴィーナスの前でも同様の俗説があり、やってみたがやはり同様の結果であった。

しろがねの盆の無限に夏館

夏館というと洋館を思う。歳時記には夏らしい装いの邸宅という解説がつく。邸宅は立派な家のことなので日本家屋でも大きければ「夏館」の佇まいになる。「夏座敷」でも日本家屋らしさは出るがこちらは部屋の話になってしまう。

掲句からはベルサイユ宮殿が思われる。長いテーブルに並ぶ一族または客人に供するためのしろがねの盆がずらりと並ぶ。「無限」からは奥行きを感じ取った。一番遠くの先が見えないほど長いテーブル。あるいはキッチンとテーブルとの往復が無限に繰り返されているのかもしれないが、私はやはり前者をとりたい。

室内の情景に対して「無限」が登場するとどうしても幻想が伴う。季語の夏館が明るい効果をもたらしている。「しろがね」も冬の弱い光では無限という捉え方には至らない。幻想と現実の間でも、現実からの脳内トリップでも、あるいは幻想ありきで現実に見つけた接点でも、どのアプローチで生れたにしても腑に落ちるのは「無限」以外の全ての要素に確かな実体があるからだ。

コンテナは後日発見され、荷物は宿に届いた。私のものだけ届いて友人のものは紛失。慰めあいに始まった旅は慰めの旅となった。初めての訪仏レポートはまたいずれ。

『ぼうぶら』(2022年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】
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>>〔101〕メロン食ふたちまち湖を作りつつ 鈴木総史
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>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
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>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
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>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


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