ハイクノミカタ

水底に届かぬ雪の白さかな 蜂谷一人【季語=雪(冬)】


水底に届かぬの白さかな)

蜂谷(はちや)一人(はつと)

(『青でなくブルー』所収)


 「選は創作なり」と虚子は述べたが生きていくこと自体が選択の連続だ。「どうして私がこんな目に?」ということがあれば、どこかで自分が何らかの選択をしていることを忘れてはならない。気づいた時点で軌道修正という選択肢があることも。

 ある選択が世の中を動かすこともある。BTSもすごいがあの7人を選んだプロデューサーのパン・シヒョクの慧眼は無視できない。「浅草キッド」(Netflix)の成功は柳楽優弥をキャスティングした劇団ひとりの手柄だ。良い句集に出会うとこの作者は良い師を得たのだなと思う。とはいいつつ実演・実作の皆さんのたゆまぬ努力の結晶ではある。

 大学では外国語を専攻していた。当時どうしてそんなに興味を持ったのか、今考えてみると日本語がわからなかったからだと思う。正直な話、今でもわかっている気がしない。この会話がどこに向かっているのか、この人は何を言いたいのか。それは自分の経験値と理解の範囲内でしか消化できない。わかったフリをしている人も意外と多い。伝える側からして言語化出来ているのは50%程度だろうから大方の会話は50%のアウトプットを50%のインプットでしか受け取れておらず25%程度しか本意は伝わっていないのではないだろうか。

 井上ひさしは戯曲で大事なキーワードは3回繰り返すと著書に記されていた。お金と時間をかけてわざわざ舞台を観に来ている観客にすら3回言わないと伝わらないのだ。ましてや日常会話は3分の1しか伝わっていないと考えるのは順当だ。上記の25%ともさほどかけ離れた数字ではない。

 言葉は述べれば述べるほど本質を覆い隠すことがある。それに対して俳句は核心を季語に託して読者に感じ取らせる。多くの言葉を尽くすことがレプリカの製造だとすると、俳句は核心への道筋を示す道標とは言えないだろうか。

  水底に届かぬ雪の白さかな   蜂谷一人

「(水底)へ」ではなく「に」としたことで主観や推測に邪魔されることなく起きていることがすっきりと伝わってくる。「へ」では水底への距離があって曖昧だ。美しい一瞬を切り取っているが届かないことが息苦しく、心に突き刺さる。

 雪は言語のようだ。水に溶けてしまう雪はあの白い状態で水底に届くことは決してない。しかしそれは消滅ではなく水に変化しているだけなので届いていないとは言えないのだ。雪が水に変わるように、言葉は受け手の理解できる形に還元されて届く。人の言葉を聞くことは水底で耳を澄ますことに等しく、発した言葉は水に変化しなければ相手に届かない。

 俳句番組のプロデューサーとしてテレビと俳句の現場に関わってきた作者。選者を選ぶという「選」の極地を経験するなかで、言葉と格闘したこともあるに相違ない。その作者近著の超初心者向け俳句百科『ハイクロペディア』では辞書形式の冒頭で「【ああ】嗚呼」という項目を立て、視聴者への明示という義務を負うテレビと「あまり語られてこなかった俳句の機微」の狭間で「嗚呼」と嘆息した日もあることを記しているが、最後の項目「【んんん?】」では言葉に救いを感じているようにも思える。

吉田林檎

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【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)



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>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


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