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後輩の女おでんに泣きじゃくる 加藤又三郎【季語=おでん(冬)】


後輩の女おでんに泣きじゃくる)

加藤又三郎


子供の頃憧れたもののひとつに街角のおでん屋台がある。昭和の昔、ドラマの中のサラリーマンが集まっては一杯やりながら愚痴をこぼしたり笑い合ったりしていた、あの屋台。憧れと書いたのは、それがテレビの中にだけ存在するものだったからだ。私の父もサラリーマンではあったけれど筋金入りの下戸だったし、自動車を持たなければ生きていけないような地方の町では仕事帰りに酒を飲むという行為自体が身近でなかったように思う。東京ならばおでん屋台の実物を見る機会もあるだろうと思って上京したが、今日に至るまで一度も遭遇していない。聞くところによるとあのような形態の飲食店は道路の使用許可を得るのが非常に難しく、現在は絶滅の危機にあるそうだ。

 後輩の女おでんに泣きじゃくる 加藤又三郎

掲句の舞台もおでん屋台、と読みたいところだが、実際は庶民的な料理屋か、全国チェーンの無個性な居酒屋といったところだろうか。仕事で失敗でもしたのか、人目もはばからず泣きじゃくる女。彼女が少しだけ口をつけたおでんが湯気を立てている。助詞「に」の使い方が巧みで、おでんにフォーカスするとともに、それを口にするまでは彼女は涙をこらえていたのだろう、というところまで想像させている。

「後輩の女」という突き放したような言い方から作中主体と彼女の関係性が窺える。あくまでただの先輩後輩であって、どちらかが会社を辞めたら途切れてしまう程度の間柄なのかもしれない。泣きじゃくる後輩に困惑してもいるようだ。けれども少なくともこの場においては、作中主体は彼女に理解と共感を示せる一人として存在しているのではないか。

人はみな複数の顔を持っている。たとえば私は俳句を作る人間で、古楽愛好家で、勤め人で、それぞれの場所に人間関係を築いている。互いに裏も表も知り尽くすソウルメイトのような親友もありがたいが、特定の目的や共通項のみで結びついた間柄というのもさっぱりしてよいものだとこの頃思うようになった。家族や恋人には話せない仕事上の悩みを友達でもない同僚とは共有できるように、人間関係が別々に存在していることで救われることもある。

掲句の作中主体と後輩の関係を、私は仕事の同僚と読んだが、大学のサークル仲間や俳句結社の先輩後輩でも成立するだろう。たまさか同じ場所で出会い、人生のある時期をともに過ごす、それほど深い間柄ではないけれど特定のことがらについては深く分かり合える同士。それも人間と人間の美しいかかわりあいではないだろうか。先輩の前で心置きなく泣くことができるこの「後輩の女」を、私は幸せだと思う。

掲句は著者の第一句集『森』(邑書林,2021)から引いた。

(町田無鹿)


【執筆者プロフィール】
町田無鹿(まちだ・むじか)
1978年生まれ。「」「楽園」所属。2018年、第2回俳人協会新鋭俳句賞受賞。俳人協会会員



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>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉

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>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


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