ハイクノミカタ

木枯やたけにかくれてしづまりぬ 芭蕉【季語=木枯(冬)】


木枯やたけにかくれてしづまりぬ)

芭蕉


世界的名句も共感覚俳句

 『日本の俳句はなぜ世界文学なのか』(キーン、クリステワ共著)の「なぜ」(理由)の主要な要素が〈感覚合流〉にあるという指摘は、かねて〈共感覚俳句〉に刮目してきた筆者にはうれしい限りである。だから同書の内容にもう少しこだわるのだが、感覚合流には共感覚だけではなく、もう一つの大きな意味内容が含まれている。

 キーンが重きをおいて述べるのはそれだ。俳句の一字一字(一音節ごと)の音のことで、同書の「音に注目しない日本人」について述べた章では、大体において日本の俳人は音のことをほとんど考えないという。氏の知合いの「よく知られている俳人」は、「俳人は音を全然考えない。短歌に音は大切だろうが、俳句にはイメージが大切だ」といったともいう。しかし、芭蕉の俳句には、音が中心である例がいくつもあると反論する。例えば、かの立石寺(山寺)での作。

  閑さや岩にしみ入蟬の聲

 ちなみに「入」は「入る」と読み、「聲」は旧漢字。俳句の視覚的効果を重く見たい筆者などには、新漢字「声」はいかにもたよりなく間が抜けていて、絶え間なくつづく蟬の声としては分量も足りない漢字だが、以下は本書の表記にしたがって、すべて「声」と書く。この句の読み方についてキーンは次のように述べる。

 いまのは普通の読み方ですが、これをちょっと西洋風の読み方でやりましょう。すると、「しぃずかさや いぃわにぃ しぃみぃいぃる せみぃのこえ」。い、い、い、い、い……。そしてその「い、い、い、い……」は、蟬の鳴き声なのです。

 そのほか、「春の海終日のたりのたり哉」については、「のたりのたり」の擬声語だけで、ほとんど意味のない音のみで、春の海を感じさせるのはすごいと指摘。また「夏草や兵どもが夢の跡」については、「お」という悲劇的な音の繰返し、を挙げる。

 これを受けて、この「しづかさや」の句が自分の大好きな芭蕉の俳句だというクリステワは、たった十七の音節のうちに七つも「i」を含み、声をのばして読んでみると蟬の声が聞こえてくるといい、自分の知る限り、蟬の声の響きに初めて着目したのはキーン先生だと思うと述べる。

 キーン先生がさらに芭蕉の他の句においても、音の働きを分析し、「目で聞く、耳で見る」という感覚合流が生み出す美的効果を解き明かしたのです。

 クリステワはさらに、芭蕉の俳句における聴覚的効果は、同じ音の繰返しに限るわけではなく、例えば、キーンが指摘しているように、「ほととぎす消え行くかたや島ひとつ」という句では、音の静かな下り調子が、遠くへ飛び去るほととぎすを追っていった視線をみごとに再現している、と繊細だ。先週述べた「海くれて」句の表現効果の解説に通ずるものがある。

 これらの点から、感覚合流が視覚空間での聴覚的効果を主とした視覚と聴覚の合流を含む語として使われていることは明らかだ。もとより共感覚を否むものではないことは前述のとおり。同書の「芭蕉のあと」の章では、氏がとても感動したという去来の、「ほととぎす鳴くや雲雀と十文字」を取り上げ、「耳で見る」句として次のように評しているのが駄目押しになる。

 この俳句は、文字通り、「耳で見る」ものです。(中略)雲雀が「縦」に、ほととぎすが「横」に飛んでいるので、まるで十文字をなすかのようですが、それに気づかせてくれるのは、それらの鳴き声です。

 私流にいうならば、これは明らかに聴覚と視覚の共感覚俳句である。そればかりか、ここで振り返ってみれば、芭蕉の「閑さや」句自体が、すでにお気付きのとおり歴とした共感覚俳句なのである。私自身もそうだが、多くの人に好まれ、いまや世界の名句にまで迫り上がっているこの句が、である。ちなみに山本健吉も『俳句鑑賞歳時記』(角川学芸出版、2000年)の中で、「おそらくこの句は、紀行中一、二の佳句であろう」としるす。

 もはやいうまでもなく、当句は「岩」(視覚)と「蟬の声」(聴覚)が「しみ入」という芭蕉の感じ・感触あるいは心象・映像(イメージ)などの内感の、優れて的確かつ創造的な言語化によって完成した共感覚俳句なのである。山本によると、この句には先行する二案があった。初案は「山寺や石にしみつく蟬の声」、第二案は「さびしさや岩にしみ込蟬の声」である。最後の形に決着したのは、おそらく『奥の細道』の定稿が成った時だという。長い時間をかけた見事な推敲である。

 評者はとかく、蟬や岩石の種類、時刻やロケーションなど作者を取り巻く情況に注目しがちだが、ここで着目したいのは、これだけの推敲を経ながらこの作者は、目に見えない蟬の声が堅い岩石に当たって沁みていくという視覚と聴覚の合流点の大まかな感じ・感触あるいはイメージには、まったく変更を加えようとしていないということだ。

 芭蕉の方法論の嚆矢ともいえる「物の見えたる光、いまだに心に消えざる中にいひとむべし」(『三冊子』)が思い当たる。あるいはまた、対象把握の方法としての〈即興感偶〉性に重きをおく芭蕉ならではのわざであろうか。物を見聞きして直覚した内感を十分に踏まえたうえで、「しみつく」→「しみ込」→「しみ入」と、ひたすら捉えた対象に迫り、美的効果を突き詰めた最適な表現を与えるべく刃を研いでいく。

 言葉はいよいよ研ぎ澄まされ、面から線へ、岩を刺すまでに細く鋭くその純度を高める。辿り着いた複合動詞は紛れもなくより鋭角的な隠喩(メタファー)である。もはや蟬の声と岩との接点に衝撃は起こるべくもない。その声は周辺の「閑さ」に波紋を及ぼすこともなく溶け込む。

 視覚的空間と聴覚的時間の完璧なまでの一致といってもよい。私たちがこの句を好み、一度知ったら忘れられず、何度も思い起こしては味わっているのは、五感に占めるウェートがかなり大きいこの両感覚の延長線上にある想像上の充足感が、その都度心地よく充たされるからではないだろうか。

 さて、いよいよ暦の上の冬。芭蕉の視覚と聴覚(または聴覚と視覚)の共感覚俳句の中に、先週取り上げた「海くれて」句(季語「鴨」)のほかにも冬の句があるか探してみた。すぐに見つかったのが冒頭の掲句だ。その柔らかく緊まった表現が心に残る。

 いままで竹叢に吹き付けて諸竹を大揺れに揺らしつづけてきた木枯が、つとおさまり、すっかり静まり返っている情景を、やはり作者の内感を踏まえて形象化する比喩で捉えた句だ。「たけにかくれて」と視覚の活喩(擬人法)を用いて、「しづまりぬ」と聴覚の世界へ導く。「木枯」の一語を除く十三文字までが仮名書きで、芭蕉の句には珍しい。しなやかな竹のおもむきを狙った表記であろう。

 前書に「竹畫讃」とあるから実景ではなかろうが、描かれた竹叢に、目には見えない木枯の動静を探り当てた表現は見事だ。もちろん芭蕉が比喩を、活喩を、コンセプトとして知るはずもなく、対象を突き詰めた表現が自ずから擬人化を呼んだ、と見るべきであろう。

 俳人にはむろん、詩の語句の咄嗟の「出来(しゅったい)」はあり得るし、「自ずから成る」を旨とする俳人も少なからずいることは承知だ。しかし、十七文字の詩作品を完成するためには、その多寡は別として推敲は欠かせず、推敲しないと判断することもまた推敲のうちである。先に見た「閑さや」句の推敲の過程を思い浮かべれば、この句が多かれ少なかれ似通った経路を辿ったと見ても差支えなかろう。

 このように、俳句の共感覚表現が比喩に向かい、詩としての優れた比喩に到り着くことで、把握即表現の高みに達している例は少なくない。かなり特殊でエッジー(先端的)な存在といえる共感覚俳句を通じ、より一般的なテーマである俳句の比喩について、次週以後も折に触れて述べてみたい。

望月清彦


【執筆者プロフィール】
望月清彦(もちづき・きよひこ)
1935年東京都三鷹市生まれ。東京都在住。俳誌「百鳥」同人。総合誌「中央線」同人。1990年俳誌「裸子」年度賞・身延山賞、2008年角川書店賞、2011年毎日俳壇賞、2012年読売俳壇年間賞、2013年朝日俳壇賞、2020年読売俳壇年間賞受賞。同年NHK全国俳句大会龍太賞入選、2021年同龍太賞入選。句集『遠泳』(読売俳句叢書第Ⅰ期第2集)現在『読売年鑑』文学分野載録俳人、俳人協会会員。



【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

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>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子

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