ハイクノミカタ

誰も口にせぬ流氷の向かうの地 塩崎帆高【季語=流氷(春)】


誰も口にせぬ流氷の向かうの地

塩崎帆高

前回は友人四人で屋根替吟行をした様子を記事にしたが、その一人、岩田奎がそれを受けてTwitterでこのように反応してくれた。

ごめん岩田。ということで、償いもこめて、彼が調子良かった吟行のことも記しておこう。

網走に流氷吟行に行ったことが2回ある。1回目は2020年3月、コロナが北海道で数人出て大騒ぎになっていた時。2回目は2022年3月のことである。

まずは流氷のサイクルについて軽く説明しよう。アムール川の水が冷たいオホーツク海に流れ込むと、流氷の原型となる氷ができる(凝固点降下や対流の有無による興味深い原理は2017年11月24日刊「毎日小学生新聞」の「Z会ナビ」にわかりやすくまとまっていたのでぜひ読まれるといいと思う)。

この氷が成長したものが、風や海流によって南下し、やがて北海道のオホーツク海沿岸に接岸する。実際に見て驚いたことは、流氷というのはぷかぷか浮いている氷のようなものもあるが、接岸のピークにはびっしりと海を埋め尽くし雪原のようになることである。雪など降ればどこまでが地面でどこからが流氷かわからない。

そして、この押し寄せた流氷は北風と南風のバランスで一進一退する。すなわち、北風の強い2月前半の間は押し寄せる動きの方が遠ざかる動きよりも大きいため、流氷のなす雪原は成長していく。一方、3月になり、南風の強い日などは流氷の群は沖に流される。こうして一進一退しながら流氷は遠ざかり、ついには「海明け」に至る。

僕が網走に2回訪れたのはいずれも3月のことであったが、様子は少し異なっていた。2020年はびっしり接岸していた流氷が翌日一気に沖に流れたのを見た。2022年は暖かく、砕氷船で沖まで出ないと流氷原にゆけないという感じであった。

さて、2回とも「群青」の数名で行ったが、岩田が来たのは2回目の2022年のときである。この時は砕氷船による流氷観察のほか、小規模の自然観察ツアーを借り切って、尾白鷲・大鷲観察、西洋樏を掃いて氷瀑を見にゆく樏行かんじきこう体験、氷湖に穴をあけて行う公魚釣り体験を行った。また網走監獄の観光もした。このあたりの詳述は割愛するが、岩田奎『膚』にはこの時の句が何句か掲載されている。

流氷をかち割る船のなか尿る 岩田奎

砕氷船での一句であるが、海という大きな液体の上に浮く船の中にあって自らの体から出る液体が溜まり揺れる感覚がなんとも不思議で面白いのである。

さて、今回の見出しには塩崎帆高の句を選んだ。彼は「群青」「秋草」所属で、僕から見て「群青」の後輩にあたる。前回紹介した「南風」の大熊光汰とは同い年である(余談だが彼らは共に映画通で非常に仲がいい)。名古屋高校出身の彼は上京して「群青」に入ってくれた。大熊光汰塩崎帆高はまさに大注目の逸材なのでぜひ覚えておいてほしい。

この連載を依頼されて、この二人の俳句だけは取り上げたいと思っていたので、身内の俳句を取り上げることをお許しいただきたい。次回以降は再び身内以外の俳句を取り上げていく。

誰も口にせぬ流氷の向かうの地 塩崎帆高

この俳句、暗い集団が見える。そして、薄暗い流氷の向こうには暗い大陸がある。オホーツクの暗い曇りの感じがよく出ていて秀逸である。そしてこの俳句が読まれたのは2022年3月4日。そう、ウクライナ侵攻がはじまってからわずか1週間のことである。

ウクライナ侵攻の始まった当初の、あってはならぬことが起きたことに対する絶望と不安を、暗黙の禁忌を浮かび上がらせるかのような「誰も口にせぬ」という叙述により見事に詠んでいる。御多分に洩れずわざとらしい反戦句や戦火想望俳句が横行した俳句界であったが、このようにリアルタイムに沈静した悲しみを詠んだ句にこそ価値があると思うのだ。

板倉ケンタ


【執筆者プロフィール】
板倉ケンタ
1999年東京生。「群青」「南風」所属。俳人協会会員。第9回石田波郷新人賞、第6回俳句四季新人賞、第8回星野立子新人賞。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2024年2月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】
>>〔10〕足跡が足跡を踏む雪野かな 鈴木牛後
>>〔11〕父の手に負へぬ夜泣きや夏の月 吉田哲二
>>〔12〕トラックに早春を積み引越しす 柊月子
>>〔13〕故郷のすすしの陰や春の雪 原石鼎

【2024年2月の水曜日☆山岸由佳のバックナンバー】
>>〔1〕雪折を振り返ることしかできず 瀬間陽子
>>〔2〕虎の上に虎乗る春や筥いじり 永田耕衣
>>〔3〕人のかほ描かれてゐたる巣箱かな 藤原暢子
>>〔4〕とぼしくて大きくて野の春ともし 鷲谷七菜子

【2024年2月の木曜日☆板倉ケンタのバックナンバー】
>>〔1〕寒卵良い学校へゆくために 岩田奎
>>〔2〕泥に降る雪うつくしや泥になる 小川軽舟
>>〔3〕時計屋の時計春の夜どれがほんと 久保田万太郎
>>〔4〕屋根替の屋根に鎌刺し餉へ下りぬ 大熊光汰

【2024年1月の火曜日☆土井探花のバックナンバー】
>>〔5〕初夢のあとアボカドの種まんまる 神野紗希
>>〔6〕許したい許したい真っ青な毛糸 神野紗希
>>〔7〕海外のニュースの河馬が泣いていた 木田智美
>>〔8〕最終回みたいな街に鯨来る 斎藤よひら
>>〔9〕くしゃみしてポラリス逃す銀河売り 市川桜子

【2024年1月の木曜日☆浅川芳直のバックナンバー】
>>〔5〕いつよりも長く頭を下げ初詣 八木澤高原
>>〔6〕冬蟹に尿ればどつと裏返る 只野柯舟
>>〔7〕わが腕は翼風花抱き受け 世古諏訪
>>〔8〕室咲きをきりきり締めて届きたり 蓬田紀枝子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. うつとりと人見る奈良の鹿子哉 正岡子規【季語=鹿子(夏)】
  2. 無駄足も無駄骨もある苗木市 仲寒蟬【季語=苗木市(春)】
  3. 冬ざれや父の時計を巻き戻し 井越芳子【季語=冬ざれ(冬)】
  4. 菜の花やはつとあかるき町はつれ 正岡子規【季語=菜の花(春)】
  5. ががんぼの何が幸せ不幸せ 今井肖子【季語=ががんぼ(夏)】
  6. 風へおんがくがことばがそして葬 夏木久
  7. 白夜の忠犬百骸挙げて石に近み 中村草田男【季語=白夜(夏)】
  8. 五十なほ待つ心あり髪洗ふ 大石悦子【季語=髪洗ふ(夏)】

おすすめ記事

  1. 【冬の季語】落葉
  2. 【秋の季語】秋めく
  3. 神保町に銀漢亭があったころ【第88回】潮田幸司
  4. 【秋の季語】馬鈴薯/馬鈴薯 ばれいしよ
  5. 自愛の卓ポテトチップは冬のうろこ 鈴木明【季語=冬(冬)】
  6. 仲秋の金蠅にしてパッと散る 波多野爽波【季語=仲秋(秋)】
  7. 鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 波多野爽波【季語=鳥の巣(春)】 
  8. 滴りてふたりとは始まりの数 辻美奈子【季語=滴り(夏)】
  9. 春日差す俳句ポストに南京錠 本多遊子【季語=春日(春)】
  10. 「我が毒」ひとが薄めて名薬梅雨永し 中村草田男【季語=梅雨(夏)】

Pickup記事

  1. 【冬の季語】大年
  2. 冷やっこ試行錯誤のなかにあり 安西水丸【季語=冷やっこ(夏)】
  3. 蓑虫の揺れる父性のやうな風  小泉瀬衣子【季語=蓑虫(秋)】
  4. 神保町に銀漢亭があったころ【第42回】黒岩徳将
  5. エッフェル塔見ゆる小部屋に雛飾り 柳田静爾楼【季語=雛飾り(春)】
  6. 【夏の季語】出梅
  7. 大空に伸び傾ける冬木かな 高浜虚子【季語=冬木(冬)】
  8. 方舟へ行く一本道の闇上野ちづこ(無季)
  9. めぐりあひやその虹七色七代まで 中村草田男【季語=虹(夏)】
  10. 【冬の季語】小寒
PAGE TOP