時計屋の時計春の夜どれがほんと久保田万太郎【季語＝春の夜（春）】

ハイクノミカタ

時計屋の時計春の夜どれがほんと　久保田万太郎【季語＝春の夜（春）】

2024/2/15
ハイクノミカタ, マンスリーゲスト
1889年生まれ, 1963年没, 「南風」, 「春燈」, 「群青」, が, どれ, の, ほんと, 久保田万太郎, 夏至, 時計, 時計屋, 板倉ケンタ, 正木ゆう子

時計屋の時計春の夜どれがほんと

久保田万太郎

あっさいあるあるから入らせてもらうが、この俳句を「春の夜の時計春の夜どれがほんと」と言ってしまう、というのがある。

この俳句の場合、「時計屋の時計（の）どれがほんと」という意味内容に対して「春の夜」が挿入されているとも取れるし、「時計屋の時計（と）春の夜（の）どれがほんと」というように、時計屋の時計のどれもが偽りめいてくる感覚の延長として、今自らの身を置いている「春の夜」までもが偽りとなりぐるぐると歪んで回りだすかのような時計と春の夜との並列の効果を読み取ることもできようか。

冒頭提示したあるあるは、「春の夜」が決して挿入句的に分解可能なのではなく、この句の世界と混ざり合って溶け込んでいるということの証左である。

形の上で似たような季語の関わり方として、＜地下鉄にかすかな峠ありて夏至　正木ゆう子＞がある。形の上では「夏至」が最後に滑り込んでくっついているように見える。しかしこの場合は先ほどの溶け合うような関わり方とは少し異なり、後から一句を包み込むような構成である。もう少し詳しくいうと、地下鉄の身体感覚から下五で一気に時空間が一句に流れ込み句の境界が広がっていく感覚がある。

付け加えるなら、地下鉄で移動していてふとした身体感覚から「あ、夏至か」と呟いたような夏至の認識はこの句の形あってこそだと思う。頭でっかちな読みをすると暦の陰陽のうつり・膨らみを地下鉄の峠とリンクさせることもできるが、（その読みはされて然るべきだが）自分は呟き説を押していきたい。

差し込み、もしくは付け加えの形で季語が一句に付加されている現象は特に句会レベルで多く目にする。下五が「海小春」「街薄暑」のように、慌てて季語を入れ込んだものや、下五が「〇〇て冬」のように無理やり季語をくっつけたパターンなどがある。こういうのを見ると、どうしても「無季になると怒られるから頑張って季語を入れました」という感じがしてしまう。

無季だとなぜいけないのか。これを説明できる人間はおそらくいない（なぜなら、無季がいけないということ自体が間違っているから）。なぜ間違っているかというと簡単で、俳句に「いけない」なんてことはないからである。無季よし、有季よし。季重なりもOK。中八だって構わない。

経験的に初心者が失敗しやすいとされている技法を親切で教えているつもりが、いつの間にか「ルール」として広く信じられるようになり、なんでそれがいけないのか誰も説明できなくなっているのが俳句の現状である。この構造を理解している俳人は、ベテランまで含めてもごくごく一部しかいないと思われるので、この記事を読んでくださった稀有な読者にはぜひ改めて考えていただきたい。また、これらの「タブー」を用いるとなぜ一句が失敗しやすいのかまで考察できると立派な評論になると思っているが自分自身なかなか手がついていない。

そういえば、冒頭のあるあるシリーズで言うと、＜麦車馬に遅れて動き出づ　芝不器男＞を「麦車麦に遅れて動き出づ」と言ってしまったことがある。しかも大真面目に選評の際に引用した時である。選評を述べ終わるまで何も気が付かなかったが、句会が終わって気づいて赤面した。こんなことばっかりである。

（板倉ケンタ）