ハイクノミカタ

ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず 有馬朗人【季語=涅槃図(春)】

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 神保町には縁がある。現在も、駅からほど近い天為の編集室に通っているのだが、平日夜の有馬先生の句会が淡路町で開かれる折には、編集室を終えてから、太田姫稲荷あたりを抜けて歩いてゆくのが常だった。

 古くは、曽祖父の診療所が、今のホトトギス社あたりにあり、省線御茶ノ水駅から人力車で通っていたそうだ。今は再開発で大分きれいになってしまったが、私が高校生の頃までは、看板建築の書店がいくつか並んでいて、御茶ノ水駅から駿台南校舎へ行くときは、何となく懐かしい気持ちでこのあたりを通っていた。

 この曽祖父には、大正二年刊行の「日本米食史」という著書がある。千頁を超える大著で、森鷗外が漢文で序文を書いているのだが、当時脚気論争があったことを考えると、主張の違う者の書籍によく書いてくれたものだと思う。

 また、この本は、意外なところで取り上げられた。月刊誌「俳壇」に宇多喜代子先生が、愛読書であると書いて下さったのだ。確かに、おはぎとぼた餅の違い、など米にまつわるあらゆるエピソードが古い時代から書かれているので、医者が書いた書物にしては、身近で幅広い分野を網羅している。宇多先生の記事を見つけたときには、嬉しくて先生にお手紙を書いてしまった。

 一昨年、冒頭の句会に句会仲間と向かっていたときのこと。淡路町の街角の小さな祠に、有馬先生が一心に祈っておられた。先生はいつもその日の歩数が足りないと、句会の前の時間に車から降りて散歩をされていた。だから我々も先生の後ろ姿を見つけたとき、声をかけようとしたのだが、あまりに熱心に祈られていたので、ためらって、結局そのまま先に会場へ向かった。

 有馬先生の周りには、八百万の神様がいて守ってくれているように思っていたけれど、あの時、先生は何を祈られていたのだろう。もう伺う術もない。

内村恭子


【執筆者プロフィール】
内村恭子(うちむら・きょうこ)
1965年東京生まれ。
2002年「天為」入会。2008年「天為」同人。
2010年「天為」新人賞。2013年 第一句集「女神(ヴィーナス)
現在、天為編集室、国際俳句交流協会事務局勤務。俳人協会会員。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】

>>〔1〕年玉受く何も握れぬ手でありしが  髙柳克弘
>>〔2〕復讐の馬乗りの僕嗤っていた    福田若之

【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】

>>〔1〕琅玕や一月沼の横たはり      石田波郷
>>〔2〕ミシン台並びやすめり針供養    石田波郷

【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】

>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
>>〔2〕血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は   中原道夫
>>〔3〕鉄瓶の音こそ佳けれ雪催      潮田幸司
>>〔4〕嗚呼これは温室独特の匂ひ      田口武

【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】

>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希

【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔1〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規
>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事   岡野泰輔
>>〔3〕なだらかな坂数へ日のとある日の 太田うさぎ
>>〔4〕共にゐてさみしき獣初しぐれ   中町とおと

【2021年12月の水曜日☆川原風人のバックナンバー】

>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う    大庭紫逢
>>〔2〕枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」   林翔
>>〔3〕鏡台や猟銃音の湖心より      藺草慶子
>>〔4〕みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季何
>>〔5〕ともかくもくはへし煙草懐手    木下夕爾

【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し      芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉
>>〔3〕葱白く洗ひたてたるさむさ哉      芭蕉
>>〔4〕埋火もきゆやなみだの烹る音      芭蕉
>>〔5-1〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【前編】
>>〔5-2〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【後編】

【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】

>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子
>>〔2〕息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子
>>〔3〕後輩の女おでんに泣きじゃくる  加藤又三郎
>>〔4〕未婚一生洗ひし足袋の合掌す    寺田京子

【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】

>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊     杉田久女
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ  後藤比奈夫
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す   仙田洋子
>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒     山口青邨

2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】

>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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