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嗚呼これは温室独特の匂ひ 田口武【季語=温室(冬)】

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嗚呼これは温室独特の匂ひ)

田口武


スティーブ・ジョブズに「1000ものことにノーと言う」という名言がある。何かを成し遂げるためには、重要でない何かに対してノーと言い続ける必要がある。何か始めることを決める前に、何をやらないかを決めなければ、重要でないものに流され、圧し潰され、世界を驚かせるような何事も為すことは出来ない。ジョブズは1000ものことにノーを言い続け、iPhoneやiPadを世に送り出した。ジョブズが亡くなってから10年の歳月が流れたが、その言葉は色褪せるどころか、一層輝きを増すばかりである。

掲句の作者である田口は“切れ”に対してノーを言い続けている。「や」「かな」「けり」などの切れ字を俳句に用いるのを止めたのだ。切れを捨てたことで、散文俳句だの、喋り過ぎだのと多くの批判を浴びたようだ。しかし、切れにノーと言い続けることによって、田口は独自の文体を手に入れた。掲句にもそれが如実に表れている。嗚呼これは、と自身の記憶と照合しつつ温室独特の匂いの違いを嗅ぎ分ける。温室独特の匂ひと断ずるには、温室以外のあらゆる匂いを知っている必要がある。例えば、畑に撒く肥料の匂い、納屋の埃っぽい匂い、あるいは風の匂い、土の匂い、もちろんあらゆる野菜や花の匂いもそうだ。田口は自ら畑を耕す。毎年夏には庭の畑で採れたプチトマトを持参し、編集部の皆にお裾分けをしてくれる。赤や黄、紫など色とりどりのプチトマトをビニール袋に小分けにして「朝採れですのでよければどうぞ」と遠慮がちに。

田口の経験に根差した農業というテーマと、切れの無い文体が組み合わさった時、田口の俳句は強烈な匂いを発する。田口だけのオリジナルな匂いを。

芭蕉に「句調(ととの)はずんば舌頭に千転せよ」という名言がある。「発句の形が整わぬ時は、その句を千回様々に変化させて吟じてみよ」、言わずと知れた名言である。芭蕉の名言とジョブズの名言。筆者の理解では、両者の名言はほぼ同じ意味だと思われる。

もしかすると、ジョブズの名言「1000ものことにノーと言う」は、芭蕉の「舌頭千転」を踏まえているのではないか? 何故なら、ジョブズは若くして禅に傾注し、「俳句禅堂」という禅堂に通っていた。「俳句禅堂」という名前の由来は、禅堂の座席数が俳句と同じ5・7・5の17席だったことに由来する。ジョブズが禅の修行を行う中で、禅と深い係わりのある芭蕉の名言に触れたとしても何ら違和感は無い。芭蕉の名言にインスピレーションを得たジョブズは、自信のアイデアを「舌頭千転」し、数々の革新的な製品を世に送り出したのかも知れない。

再び俳句に立ち返って言えば、「1000ものことにノーと言う」ことがどれほど大変なことか。ノーと言うためには、先人の発表した膨大な作品に目を通し、学ばなければならない。ノーと言うためには、自分自身のセンスを磨き、自信を持ってイエスと言える俳句を追求し続けなければならない。時間は万人に平等に与えられている。限られた時間をどう使おうと自由であり、自分の判断に委ねられている。俳句で何かを成し遂げたいのなら、自分が重要でないと考える何かに対してノーと言い続ける必要がある。自分の限りある強みに集中しなければならないのだ。

温室の中でぬくぬくと育って来た筆者だが、そろそろ積極的に温室の外に出なければならないのであろう。今回の執筆の機会をいただいた中で強く感じたことである。

掲句は『創刊二十周年記念 銀化季語別作品集』より抽いた。

菅 敦


【執筆者プロフィール】
菅 敦(かん・あつし)
昭和四十六年 千葉県生れ
平成二十年「銀化」入会 中原道夫に師事
平成二十四年 第十三回「銀化」新人賞受賞・同年「銀化」同人
平成二十九年「銀化」副編集長
令和二年 俳人協会第四回新鋭俳句賞準賞 受賞
令和二年 第一句集『仮寓』上梓 俳人協会会員

【菅敦の自選10句「タテヨミ」】

レバレトヨゴレヲサソフユキダルマ

サマシキナマヘノクルマフユノヤマ

モユキヲユガメテヰタルユキヲンナ

ヲユケバナキモノノコヱカマイタチ

ライカラタヅネテキタルカマドネコ

ラスギルポテトニユキヲマブシケリ

ノシミナオサケヲカカヘフユツバキ

ケオチテハヅレテシマフボタンユキ

ニカメルガラスノユビワムツノハナ

ツコリトユキヲキコナスコドモタチ



【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】

>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
>>〔2〕血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は   中原道夫
>>〔3〕鉄瓶の音こそ佳けれ雪催      潮田幸司

【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】

>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな     蜂谷一人
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる   岸本葉子
>>〔3〕胎動に覚め金色の冬林檎      細谷喨々

【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔1〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規
>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事   岡野泰輔
>>〔3〕なだらかな坂数へ日のとある日の 太田うさぎ
>>〔4〕共にゐてさみしき獣初しぐれ   中町とおと

【2021年12月の水曜日☆川原風人のバックナンバー】

>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う    大庭紫逢
>>〔2〕枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」   林翔
>>〔3〕鏡台や猟銃音の湖心より      藺草慶子
>>〔4〕みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季何
>>〔5〕ともかくもくはへし煙草懐手    木下夕爾

【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し      芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉
>>〔3〕葱白く洗ひたてたるさむさ哉      芭蕉
>>〔4〕埋火もきゆやなみだの烹る音      芭蕉
>>〔5-1〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【前編】
>>〔5-2〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【後編】

【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】

>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子
>>〔2〕息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子
>>〔3〕後輩の女おでんに泣きじゃくる  加藤又三郎
>>〔4〕未婚一生洗ひし足袋の合掌す    寺田京子

【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】

>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊     杉田久女
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ  後藤比奈夫
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す   仙田洋子
>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒     山口青邨

2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】

>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


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