角切の鹿苑にある静と動
酒井湧水
残暑が厳しいなか、出張で奈良へ行ってきた。東京から京都まで新幹線で行き、そこから近鉄特急に乗り換えた。奈良は遠いイメージがあったが、近鉄特急に乗ると京都から30分ぐらいで到着したので、意外と近いのだと今回認識を改めた。電車のなかには外国人観光客が多く乗っており、車窓に見える稲穂の風景や平城京跡地の芒をカメラにおさめていた。
奈良といえば鹿である。そうわかっていても、実際に奈良公園に多くの鹿を見ると驚きがある。それも、人間と同じ歩道を悠然と歩き、寝そべっている。ここでは、鹿はものすごく身近な存在である。鹿せんべいを持っている人には円な瞳を輝かせて寄っていくが、持っていない人には見向きもしない、しっかりとした意思を持っている。残暑が厳しい時間帯だったので、一頭の鹿が奈良県庁前の芝生を後ろ足で蹴散らし、土を剥き出しにしてその上に悠々と寝そべっていた。まったく人の目などを気にせずに悠々自適に暮らしていた。
角切の鹿苑にある静と動 酒井湧水 『句集 神の手』
角切とは、奈良公園に放し飼いにされている鹿の角を切り落とすことであり、秋(10月)の季題である。もともとは、牡鹿同士の格闘を防ぐ目的があったが、観光客に怪我を負わせないためでもあるらしい。昔は秋の彼岸前後に行われていたが、最近は観光化されて10月中旬から11月初旬の週末・祝日に行われる。インターネットの情報だと、今年は10/12~14に春日大社で角切が行われるらしい。
実際の角切の現場を見たことはないが、動画を見る限り、人間と牡鹿の格闘技という印象である。鹿は幕の張られた場所に追い込まれ、数人の男たちに捕まえられ、枝のように伸びた角を鋸で切り落とされる。鹿は捕まらないように幕のまわりを逃げるのだが、その角に人がロープを引っ掛けて引きずり倒す。ときにロープを持った人が鹿の勢いに負けて引きずられることもある。数人がかりで鹿を押さえつけて、身動きのできない状態にして、鋸で両角を切り落とす。数十年前にスペイン・マドリードで闘牛を見たが、その情景を思い出すほどに、角切は人と鹿の闘いである。掲句はその格闘を静と動と表現したが、まさにその情景を彷彿させる句である。
(塚本武州)
【執筆者プロフィール】
塚本武州(つかもと・ぶしゅう)
1969 年、立川市生まれ。書道家の父親が俳号「武州」を命名。茶道家の母親の影響で俳句を始める。2000年〜2006年までイギリス、フランス、2011年〜2020年までドイツ、シンガポール、台湾に駐在。帰国後、本格的に俳句を習い、2021年4月号より俳誌『ホトトギス』へ出句。現在、社会人学生として、京都芸術大学通信教育部文芸コース及び博物館学芸員課程を履修中。国立市在住。妻と白猫(ユキ)の3人暮らし。
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