
メロン割る恋の動悸のようなもの
寺田京子
(『鷲の巣』)
作者は大正11年、北海道札幌生まれ。幼少期を旧満州で過ごすものの、胸部疾患に罹患。昭和17年20歳の頃に帰国し、札幌にて闘病生活を送ることになる。療養中に俳句を作り始め、地元の俳誌「水声」(天野宗軒主宰)、「水輪」(高橋貞俊主宰)、「壺」(斎藤玄主宰)を経て、昭和23年26歳の頃「寒雷」に入会し加藤楸邨に師事。昭和31年34歳の頃、第一句集『冬の匙』を刊行。昭和34年37歳の頃、新薬により小康を得て放送作家の仕事を始める。NHKや北海道の民放でドラマ作品を発表。昭和42年45歳の頃、第二句集『日の鷹』を刊行し、翌年同句集により第15回現代俳句協会賞を受賞。昭和45年48歳の頃、森澄雄主宰「杉」創刊に参加。昭和50年53歳の頃、第三句集『鷲の巣』を刊行するも、翌年の昭和51年54歳にて病没。昭和58年、寺田京子句碑建立委員会により遺句集『雛の晴』刊行。平成31年には、宇多喜代子氏、林桂氏らの尽力により『寺田京子全句集』が刊行され、再評価された。
10代後半から30代前半を病床にて過ごした作者。第一句集『冬の匙』のあとがきには、「ひと華やかに飾る娘時代を、薬臭と、視野の限られた病室の壁を相手に、たどたどしく生きつづけ」たと記す。句集には、療養俳句が並ぶ。
鏡には枯野見せおき熱つづく
野分の病者人形どもにとり囲まれ
少女期より病みし顔映え冬の匙
郭公の一息一息肺鳴らす
熱が続き、鏡を覗くこともなく過ぎた娘時代。鏡に映るのは枯野。病気の自分もまた枯野のようだ。〈野分の病者〉は、一人病室に残され命の宿らない人形に囲まれている。野分の心細さと闘病の孤独が伝わってくる句である。〈冬の匙〉に映った〈病みし顔〉には儚さを感じる。〈郭公〉の声に自身の肺の音を重ねる。自分は郭公で、肺の鳴る音は、鳴き声なのだと思おうとした。この頃から鳥を自身の分身のように捉えるようになる。
息白くいま喰べしもの血となりゆく
霧の夜へ一顔あげて血喀くなり
かくれ喀きし血のいきいきと秋の水
畳拭く秋やかがめば血の音す
血を詠んだ句も多い、白い息を吐くように、喰べたものが血となり喀血する。眠っていても喀血するために顔をあげる。家族や看護師を呼ばずにこっそりと洗面所で吐いた血が秋の水のように滔々と流れてゆく。吐いた血を拭こうと屈んだとき、身体の中から血の動く音がした。作っても作っても吐いてしまう血を拭くときの虚無感が伝わってくる。
血液銀行界隈鵙のよくひびく
鵙に血を売る女のかずより荒男のかず
朝向日葵血を売る百の眼に見られ
昭和25年頃から10年ほどの期間に存在した民間血液銀行。上記はその血液銀行を詠んだ一連の作の一部である。当時は血液銀行に血を売って金銭を得る人々がいたらしい。喀血のため血が足りない作者には、血を売る人々が異様に映ったのだろう。
死なさじと肩つかまるゝ氷の下
死を待つにあらねど白き冬臥床
ばら切ってわれの死に場所ベッド見ゆる
冬衣蔵ふついできめおく死衣裳
作者は常に死を意識していた。〈死なさじ〉と肩をつかんだのは母親であるらしい。窓からは、氷柱が見えた。冬場は氷点下となる北国では、黙っていても死んでしまう。生まれてきたときから誰かに生かされてきたのだ。〈死を待〉っているわけではないが、窓の外もベッドも白く、死床のようだった。病室を飾るために切った薔薇も自身の死に場所へ供える供華のように見える。冬衣を仕舞う際に死ぬときに着る衣を決めておこうとする作者。恋の勝負服を決めるかのように死衣裳を決めるのが切ない。
母看取る何処に坐すも雪嶺見ゆ
冬畳とりすがる死の無造作なり
玄関が冬嶺にむきて母がなし
上記は、病人となった作者の心の拠り所であった母が亡くなってしまった時の句である。いつも自分を見守るかのように存在する雪嶺。母もまたその雪嶺のようにずっと存在するものだと思っていたのだ。自分の方が先に死ぬと思っていた作者にとっては、残されたものの悲しみを知ることになる。
をんな臭きわれのほとりの日の氷
息かけてかげろふ飛ばす生理の日
末枯やねむりの中に生理くる
煖炉照り赤児抱きたし抱かれねば
種蒔くや見てゐて乳房の奥鳴らす
病人である一方で生身の女でもあった。病床のまま娘盛りを過ぎ女盛りとなった身を持て余した。〈ほとり〉とは熱のことで発熱により氷で冷やしていたのだろう。単なる発熱ではなく、生理的な火照りかもしれない。そして、血の足りない身にも生理はやってくる。体調によっては何カ月も来ないこともあり、生理がきた夢を見る。やがて、結婚して子供を産むという夢を諦めることになった。種を蒔く農作業を見ていて、子供を望めない乳房を意識する。その乳房の奥では肺が鳴っている。
嫁かぬ身の微笑頼みや枯れつくす
足袋の型おろかし逢ひにゆくときも
未婚一生洗ひし足袋が合掌す
足袋履くやつひに男に幸を見ず
ともに死にたき人なし速し楡落葉
初恋の日へ鍋焦がす柚子焦がす
病気のため結婚を諦めた作者に恋はあったのだろうか。足袋は二足一組である。人もまた足袋のようにパートナーを必要とすると考えていたのであろう。洗った足袋が重なり合うようにパートナーと重なり合い、子供を産み、一緒に死ぬ日を夢見ていた。そういう人が現れないまま死んでゆくであろう自分自身を早々に散ってゆく〈楡落葉〉に重ねる。初恋の人はいたようだ。初恋の日のことを想い出すと恋焦がれて、鍋も焦がし、焦げた柚子が香り立つ。
句集の「あとがき」には「この句集の発行は、いはば私の花嫁姿にもなぞらへることができるであらう。嬉しい」と記されており、結婚する代わりに句集を出版したことが分かる。ところが、それから数年後には投薬治療により病状が快復し、放送作家の仕事を始めることになる。
1 / 3