【木曜日】は2か月交代で〈大学俳句会〉のみなさんにご執筆いただいています。「愛媛大学俳句研究会」からのバトンが渡ったのは「北大俳句会えぞりす」。5回目は餅入桜さんです。

餅入桜 (北大俳句会「えぞりす」)
北大俳句会「えぞりす」OBの横山航路さんのこの俳句が、私は好きだ。秋の短さと儚さを季語の「流星」が気づかせてくれるような構成だと感じたからだ。それだけでなく、「消えた」後ではなく、「消えかけた」その一瞬を切り取ることで、この俳句の前後の時間までもを感じることができる。加えて、季語が「流星」であることにより、空間の壮大さが一層際立っていると感じた。広大なものから「消えかけた」瞬間を見つけることができる横山さんの感覚の鋭さに、強く憧憬した。
たぶららさ桜は風に脱字して
横山さんの句だと、この句が一番好きだ。音声で聞いたことは一度も無いのに、頭に残っているからだ。おそらく、カタカナではない「たぶららさ」のやわらかい響きが新鮮で、自分に刺さったのだと思う。さらに、「桜が脱字する」のように、自然が人間の動作をしている様子を詠むという、創作でしかできない表現が好きだ。また、「桜」のように使用頻度の高い、もしくは類想類句のできやすい季語で、桜を殺さずに個性を生み出せる感性を尊敬する。自分も頑張らなくては、と感じる。
私が横山さんや北大俳句会の皆さんと知り合ったのは高校生の時で、ひとえに文芸部の先輩のおかげだった。そして私は現在、北大俳句会「えぞりす」に道外で所属している。また、縁あって北大俳句会の有志機関誌である『旗手』には毎号関わらせて頂いている。『旗手』は、北大俳句会の有志を中心に作成されている。所属や年齢を問わず、北海道に縁をもつ若手の研鑽の場であることと、次代の俳句作家の育成に資することを目的として1年前に創刊された。ただ、私は大学生になってから北大俳句会どころか、いかなる俳句の交流の場にもほとんど触れることができていない。せっかく句会開催のメールを頂いているのに、主に部活かアルバイトの都合があり、オンラインでさえ参加できない。では欠席投句すればよいのではないかとなるが、投句する句すら作れていない。責任の所在は全て私にあるのだが、私が高校生であった数か月前までは、様々な賞へ応募するのにも困らないほど句作はできていた。
学生になって一体何が変わったのだろうか。私は「環境」だと強く考える。中学校までは俳句にふれる機会は数回の国語の授業しかなかったので、日常的に作ることはなかった。ところが、私の進学した高校には幸運なことに文芸部があった。しかも、俳句を教えてくれる先輩がいたり、部として俳句甲子園に出場していたり、と自分も俳句を詠み、読むことのできる素晴らしい環境が整っていた。周囲に同じように俳句を詠んでいる人がいたり、定期的な句会があったりしたので、作句のモチベーションを高く持ちやすかった。しかし、大学進学前まで自分の中にあった俳句に対するモチベーションは、進学するとみるみるうちに萎んでしまった。一つの原因としては、新生活とアルバイトを一斉に始めたことで時間的余裕が無くなったことが挙げられる。加えて、新しい環境でこそ新鮮な心情の俳句を詠むことができると考えられるが、未熟な私は心理的余裕さえ持つことができなかった。それだけでなく、私は今まで運動部に所属したことはなかったが、陸上競技部に入部し長距離走を始めた。春休みに進学先の部活動やサークルを調べたが、文芸部や俳句サークルを見つけることができなかったからだ。蓋を開けてみると、文芸サークルは存在していたのだが、活動時間が陸上部の練習時間と被っているため未だに訪ねることができていない。残念なことに、俳句サークルはなかった。自分語りが長くなってしまったが、大学で俳句が詠めなくなる理由は、多くの場合これらだと考える。周囲に俳句会があればこうはならずに済んだのだろうが、俳句会が無い地域へ進学すると俳句以外で忙殺されてしまう。ちなみにこの文章は留学先のオーストラリアで書いているので、俳句をよむための環境の重要さをさらに身に染みて実感している。具体的には、日本でランニングしている際は時々俳句が思いついたりするのだが、オーストラリアでランニングしていると脳内の独り言も英語になってしまい、俳句どころではない。これは特殊例かもしれないが……。
つまり、講義を受けて、アルバイトをして、部活動を行う学生もしくは高校生が俳句を詠もうと感じるためにはどうしても相応しい「環境」が必要不可欠なのだ。学校や大学に文芸部・俳句会があるかないかだけで作句量は激変するし、毎日のように顔を合わせる人たちの中に同じ趣味をもっている人がいるかいないかだけでモチベーションは天地の差となる。
しかし、本当に幸運なことに現在はネット社会だ。スマホ一つあればオンライン句会にアクセスできるし、夏雲システムを使用していれば、欠席投句も可能な場合がある。自分の中から俳句を生み出すことが外的環境的に難しくなっても、俳句を作る機会にも他人の俳句にもふれることが容易くなる。私のように環境変化で俳句を作る習慣が失われてしまっても、少し能動的になれば簡単にモチベーションを取り戻すことができる。俳句を詠んできた学生にとって、身近に俳句会が無いことは俳句離れを促すが、少しスマホを触れば様々な俳句にふれることができる。近年、デジタルデトックスが重要視されているが、むしろ俳句においてはデジタルデトックスの推奨はされないと考える。なぜなら、特に高校生や学生の世代においては、スマホを使うことで、定期的に俳句をよむ環境を得ることができるからだ。
【引用俳句情報】
消えかけてから流星を思ひだす/横山航路「風の素描」(北大俳句会「えぞりす」有志機関誌『旗手』第三号、2025年)
たぶららさ桜は風に脱字して/横山航路(第61回現代俳句全国大会青年の部 堀田季何選 准賞、瀬戸優理子選 入選句)
(餅入桜)
【サークルプロフィール】
北大俳句会「えぞりす」
2021年設立。北海道にゆかりのある大学生・短大生・専門学生によって構成されている。年2回刊の有志機関誌『旗手』を発行(オンライン販売はhttps://hokudaihaiku.booth.pm/)。文学フリマ東京43(2026年11月8日)に出店予定。
Eメール:haiku.ezorisu@gmail.com
X:https://x.com/hokudaihaiku
Instagram:https://www.instagram.com/hokudai_haiku/
【執筆者プロフィール】
餅入桜(もちいりさくら)
北大俳句会「えぞりす」所属。北海道旭川市出身、現静岡大学1年生。第2回杉野一博学生俳句大賞「肋木賞」。貴重な機会を頂くことができて、とてもありがたいです。オーストラリアで俳句のタネを仕入れて帰国したいです。