【連載】落語と俳句 行ったり来たり/三橋五七【第4席】


【第4席】
首が飛ぶのは侍か町人か

日のうちに一の花火や川開  福田素吾


歳時記で季語「川開」の頁を開くと、「各地の大きな川で、七月下旬から八月上旬にかけて行われる川の納涼開始の祝い。(中略)とりわけ両国の川開きが有名」(「俳句歳時記」第五版 角川書店編)とあり、その後は、両国川開きの説明が長々と続きます。子季語として記されているのも「両国の花火」「両国川開」の二つであり、 江戸情緒の濃い季語と言えます。

となれば、当然落語の題材にもなっています。夏の寄席の定番演目「たがや」です。今年の隅田川花火大会は7月25日。その前後に寄席へ行けば、かなりの確率でこの噺に出会うはずです。

あらすじを紹介すると、

川開き当日(旧暦5月28日)、両国橋の上は、まだ日のあるうちから花火の見物客でごった返しています。そこに徒歩の供ざむらい二人と槍持ち一人を従えた旗本が馬に乗って「寄れーい、寄れーい」とやってきます。逆の方向からは仕事を終えたたが屋が大きな道具箱を抱えて通りかかります。たが屋とは、桶や樽の緩んだ箍(たが)を締めなおしたり交換したりする職人です。

混乱を引き起こしながら進む両者は橋の中ほどで出くわします。ここでアクシデント発生。たが屋が道具箱を落としたはずみに巻いてあった竹の箍が伸び、馬上の侍の笠を弾き飛ばしてしまいます。平伏して詫びるたが屋に対して、「この無礼者」と血相を変える侍。すったんもんだの末、このままでは無礼討ちにされると悟ったたが屋は、供ざむらから刀を奪い取り、彼らを返り討ちにします。そしてついには旗本めがけて「えいっ」と刀を横一文字。旗本の首が中天高く飛ぶと見ていた見物人は「上がった、上がった、上がった。たーがやー」

「たーがやー」のオチは花火の掛け声「たーまやー」の地口(駄洒落)です。最近の花火大会では「たーまやー」の掛け声が珍しくなったこともあり、演者は噺のまくらで必ず江戸時代の花火屋、玉屋についての説明に時間を割きます。

もともと江戸には鍵屋という花火屋があり、その番頭が1810年にのれん分けで開業したのが玉屋。以降、両国橋を挟んで上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持つようになり、「たーまやー」「かーぎやー」というかけ声が生まれたと伝わります。しかし、玉屋は火事を出し、財産没収、江戸所払いとなってしまいます。わずか一代で玉屋はつぶれました。

それなのに花火の掛け声として残ったのは玉屋だけ。江戸っ子の判官びいきの表れでしょうか。ちなみに鍵屋は今も健在で、株式会社宗家花火鍵屋として全国の花火大会を彩っています。とまあ、そんなことを説明するにあたって多くの噺家が玉屋・鍵屋にまつわるこんな川柳や狂歌を紹介します。

玉屋だとまたぬかすわと鍵屋いい  「誹風柳多留」
橋の上玉屋玉屋の声ばかりなぜに鍵屋といわぬ情なし   

狂歌の方は、「情」と「錠」の地口です。太田南畝(蜀山人)の作として紹介する落語家が多いですが、蜀山人は玉屋の失火の20年前に亡くなっているので、ちょっと眉唾ですね。

なかには「縁かいな」という端唄まで持ち出す演者もいます。

夏の涼みは両国の
出船入船屋形船
上がる流星星くだり
玉屋がとりもつ縁かいな

小唄・端唄の先生の実演がYouTubeに多くありますので、興味のある方はご覧ください。ことほど左様に、この「たがや」には七五調の詩歌が登場し、また、たが屋が侍に向かって繰り出す小気味よい啖呵も相まって、噺はテンポよくリズミカルに進行します。俳句が登場しないのはやや残念ではありますが。

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