連載・よみもの

【#45】マイルス・デイヴィスと中平卓馬


【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と【#45】

マイルス・デイヴィスと中平卓馬
青木亮人(愛媛大学教授)

1990年代にジャズを聴き始めた頃、セロニアス・モンクやエリック・ドルフィー、デューク・エリントンあたりをよく聴いていた。モンクやドルフィーはあれこれ聴く中でライヴものが好きになったが、エリントンはなぜか最初から戦前のスタジオ録音ばかり聴いていた。

エリントンについては理由が単純で、近くのツタヤで初期のエリントンをまとめたCDを見かけ(当時はネットもYoutubeもなかった)、借りてみると想像以上に良かったので、それから愛聴するようになったためだ。

90年代も半ばを過ぎるとwindows95が浸透し始めていたが、今のようにネットに音源がアップされているわけではなく、気になる演奏者やアルバムを気軽に視聴することはできなかった。テレビや街のあちこちでglobeその他の小室ファミリーやミスチル、スピッツ等は流れていたが、チャーリー・パーカーの初期のスタジオ録音が流れるはずもない。

そうなると、気になる演奏はCDを2000~3000円ほど出して購入するか、ツタヤ等のレンタル・ショップで借りるなどしてコツコツ確認していく、ということになる。セロニアス・モンクやエリック・ドルフィーはかなり好きだったので少しずつCDを購入したが、エリントンはツタヤで最初に借りた音源があまりに良かったため、さしあたり満足してしまったのだ。

そんな風にジャズを色々聴くようになると、当然ながら“モダン・ジャズの帝王”と称されたマイルス・デイヴィスにも関心が出始め、実際に聴いてみるとその凄さがよく分かった。例えば、アルバム『Kind of Blue』(1959)の”So What”を初めて聴いた際にはみなぎる緊張感に驚き、「これが“モダン・ジャズの帝王”と呼ばれた所以か…」と独り合点したものだった。同じ”So What”でもライヴ版『Four&More』(1964)では息をもつかせぬ速度感のあるバージョンに変貌しており、まるで鋭利な刃物で空間を刻み続けるような演奏に唸ったものだ。

そういう風にマイルスのアルバムを少しずつ聴いていった時、最も驚いたのは『Bitches Brew』(1970)を聴いた時だった。彼のそれまでのアルバムと全く異なる禍々しい気配のようなものを感じ、その凶暴ともいえる不穏さに驚いたのである。

(マイルスの『Bitches Brew』)

このアルバムについてはジャズ評論家その他によって様々な評価や位置付けがなされており(簡便なのはwikipedia参照)、「フュージョンというジャンルを確立させた」云々という予備知識は知っていたが、一曲目の“Pharaoh’s Dance”を聴いた時にはそれら全てが吹き飛ぶような衝撃を受けた。特に曲冒頭からマイルスのトランペットが高々と鳴り響くまでの数分間は、その不気味なまでの緊張感や死を連想させる重々しい気配に圧倒されたものだった。

ところで、マイルスの“Pharaoh’s Dance”に近い禍々しさを感じたのが、中平卓馬の白黒写真を初めて見た時のことである。特に写真集『来たるべき言葉のために』に漂う暴力と死の偏在には息を呑んだものだった。

不穏な「事件」すら連想させる中平の写真を見ていたある時、彼の『来たるべき言葉のために』はマイルスの『Bitches Brew』と同じ1970年の発表であることに気づき、なるほどと妙に得心したことがあった。

1970年は現在と比較にならないほど現実の摩擦や暴力が蔓延し、学生運動もまだ現役で、ベトナム戦争は苛烈の一途を辿り、世間の理不尽な常識や慣習はいくらでもあった。第二次世界大戦や太平洋戦争から25年しか経っていない時代が1970年であることを考えると――2023年現在は戦争から78年が経過している――、マイルスや中平卓馬の作品の凄まじい迫力や禍々しさも納得できるように感じられたのだ。

それは芸術作品という点からすれば幸福な時代といえるが、普通の人々の暮らしという点では幸福だったかどうかは分からない。いずれにせよ、マイルス・デイヴィスや中平卓馬のように「事件」を感じさせるような凄みのある作品は今や出現しにくいように感じられる。


【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生まれ。近現代俳句研究、愛媛大学教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』『教養としての俳句』など。


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