神保町に銀漢亭があったころ【第77回】小沢麻結

みんな、星のひかり

小沢麻結(「知音」同人)

天の川を旅する星の一つのような私。日々の暮らしのほとりにぽっと灯の点るバーがあって、扉を開けると先客の俳人達と店主が「いらっしゃい」と笑顔で迎え入れてくれる店-それが私にとっての「銀漢亭」だった。

「第三四回神田すずらんまつり」の中止を知らせる小冊子の最終頁は「おさんぽ神保町」MAP。B5サイズの誌面一杯に店舗が掲載されており、改めて飲食店の多い町であることに気付く。地図上の白山通りを入ったところに「銀漢亭」の三文字を認めた時、心に風が吹いた。この店にもう行くことはないのだ。

「第一句集のお祝いをしてやる」、私が初めて「銀漢亭」の存在を知ったのはそんなお声掛けを頂いたのがきっかけだった。「俳人が集う店だ。初心者が行ける処じゃないんだぞ。挨拶代りに句集を何冊か持っておいで」少々懼れつつ興味深く神保町駅の待合せ場所へ足を運んだことも懐かしい。

重い木の扉を開けて出会ったのは、超結社の俳句を愛して止まない人々と店主を囲み集うアットホームなひとときだった。お店で言葉を交わしてより今もお付き合い頂いている方々もいる。広渡敬雄さんは、初日に出会ったお一人。以来お祝いの会、他所会場の会とご一緒させて頂く機会を得たが、別れ際は決まって「じゃ、また銀漢亭で!」だった。いつなんて約束はしないのに会えると思えるし、会えちゃうのだ。「卯波」での句会を共にしていた天野小石さんは、まだお店に出勤していなかった頃、「結社外の人が入ったのは初めてかもしれない」と言いながら銀漢亭から「天為」事務所に案内してくれた。彗星の様な出会いもあって、谷口いづみさんにその場でご紹介頂いた武田京子さん、拙句集の印象の私の似顔絵を描いて下さった。チョコレートがお好きな武田さん、その絵は今も部屋に飾っている。私がお誘いして銀漢亭にお連れした結社内外の方々も、其々交流を重ねていかれたようだったが、もっともお酒が強いのは西村和子先生だっただろうか。

実を言えば私はお酒を頂けない。売上の貢献度は低い客だったろう。とは言え私は場の雰囲気が好きで、美味しいおつまみに満足だった。山椒の実の煮方のこつも伊藤さんに教えて頂いた。俳句のおしゃべりも楽しかったけれど、注文と同時に奥の厨房に移動した伊藤さんが料理を手際良く作られるのを見ているのも好きだった。家で真似して作ったことも。一品が出来上がると料理と共に席に戻って舌鼓を打つ。こんな好き勝手もいつもの笑顔で許して下さった。呑めないのにふらりと立ち寄れるバーがある。いつもの居場所を離れた秘密基地で過ごすようなわくわく感。楽しかった時間が過ぎ去った。いや、天の川は絶えず流れ続ける。伊藤さん、長い間お疲れ様でした。そしてありがとうございました。またお目にかかります。


【執筆者プロフィール】
小沢麻結(おざわ・まゆ)
1996年作句開始。「知音」同人。会社員。



関連記事