神保町に銀漢亭があったころ【第101回】田村元

交流という遺産

田村元(歌人・「りとむ」「太郎と花子」所属)

神保町に俳人が集まる立ち飲み屋があることを、歌人の三原由起子さんから聞いたのは、2011年か2012年頃だったろうか。ぜひ行ってみたいと思っていたものの、当時の私は横須賀在住の横浜勤務だったので、銀漢亭が営業している平日の夜に東京に飲みに行ける機会がなかなか訪れなかった。

そんなある日、金曜の夕方に東京での仕事を終え、そのまま直帰できるという絶好のタイミングが訪れた。2012年6月のことだ。神保町の駅を降りて、iPhoneの地図を見ながら路地に入って行くときの浮き立つような気持ちを、今でも覚えている。店に入ろうとすると、入り口に受付が設けてあり、なんと今日はある俳人の誕生パーティーで貸切で入れないという。やっと来れたのに……、という思いでがっくりとうなだれていると、受付の周辺の方々が相談してくださり、「あなた悪い人じゃなさそうだし、会費の3,000円を払えば、入ってもいいわよ」と言ってくださった。この連載の2020年10月18日付の松尾清隆さんの文章によると、この時、私を店に招き入れてくださったのは、矢野春行士さんだったとのことなので、受付の周辺で相談してくださった方の一人が矢野さんだったのだろう。今になって思えば、見ず知らずの方の誕生パーティーに、ちゃっかり一人で参加していた私の神経もかなりの図太さだが、矢野さんをはじめ、私をあたたかく迎え入れてくださった俳人の皆さんの心の広さも相当なものである。この日は、阪西敦子さん松尾清隆さん矢野玲奈さんなど、同世代の俳人の方と飲みながら話をすることができ、とても楽しい夜になった。

その後、銀漢亭に飲みに行ったのは、三、四回ほどだったかと思う。私は20代半ばまで「銀化」で俳句を作っていて、当時お世話になった水内慶太さんや峯尾文世さんに、銀漢亭で偶然再会できたのも嬉しかった。

もう銀漢亭が営業していないことはさみしい限りだが、銀漢亭は間違いなく俳句史に残る店になるだろう。私はライフワークとして、歌人ゆかりの居酒屋を訪ね歩いており、なくなってしまった店のことも少しずつ調べている。例えば、大正の初期に、歌人の斎藤茂吉や中村憲吉が通っていた浅草の「ヨカロー」という店や、昭和の中期に、歌人の山崎方代や詩人の長島三芳などの横浜の文化人が集まった関内の「ホースネック」という酒場は、もうこの世に存在しない。ただ、店はなくなってしまったが、「ヨカロー」も「ホースネック」も、歌人たちの深い交流という形の遺産を、短歌史に残してくれている。面白いのは、店で生まれた交流が生み出したものが、飲み会での与太話だけにとどまらないということだ。大正期の「アララギ」の歌人たちの活躍は「ヨカロー」での交流を措いて語れないし、山崎方代がのちに歌壇を超えた人気を獲得する作品を生み出すことができたのは、「ホースネック」での文化人たちとの交流がベースにあったからではないかと私は思っている。

私は俳壇の事情には詳しくないが、銀漢亭での俳人たちの交流から生まれた成果もすでにあるのだろうし、そしてこれからも、きっととんでもない成果が生まれてくるに違いない。


【執筆者プロフィール】
田村元(たむら・はじめ)
1977年、群馬県生まれ。歌人。「りとむ」「太郎と花子」所属。2002年、第13回歌壇賞受賞。歌集に『北二十二条西七丁目』(第19回日本歌人クラブ新人賞受賞)、歌書に『歌人の行きつけ』がある。



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