神保町に銀漢亭があったころ【第65回】柳元佑太

コンビーフ

柳元佑太(「澤」)

高校生のときから銀漢亭に行きたかった。北海道の高校に通っていたぼくは中央の環境をねたみ羨んでいて、上京したら水中書店や俳句文学館に通うと決めており、銀漢亭もその中の一つだった。まさに銀漢のごとく遥かで憧れの場所だった。けれども銀漢亭には行けたのは結局、一度きりということになる。言い訳をすると成人したのが大学2年生の秋で、銀漢亭の閉店が大学生4年生の春だったから、合法的に銀漢亭に通える期間が一年半ほどしかなかった。加えて、奨学金という名の借金で生活する貧困学生の口座残高が、酒場に足繁く通うことを許さなかったのである。

それだけに、一度だけ座ることの出来た銀漢亭のカウンターはなんだか思い出深い。その日は友人のHと古書を目的に午後から神保町を歩いた。Hは同じ大学の友人で、共に早大俳句研究会の会員で俳句を書く。よく飲みにもいく間柄でもある。そんなわけでその日は、勇気を出し銀漢亭に闖入するには適当な人間を伴っていた。

ぼくたちは恐る恐るカウンターに座った。横では愛くるしいお子さんを連れた男性がビールを一杯引っ掛けて、渡仏にあたっての挨拶をされていた。このあたりでぼくはこの方が堀切克洋さんらしいということに気付き、ああ本当にここが銀漢亭なのだ、ぼくは上京したのだなと(上京して三年も経つのに!)感慨深く思ったりもした。伊那男さんは料理をサービスしてくださり、銀漢亭のこと、俳句のことなど様々なお話をお聞かせくださった。上等なものらしいコンビーフが驚くほど美味しくて、ぼくたちは焼酎を何合も腑に落とし、したたかに酔っ払った。伊那男さんの紳士な人柄に一夜にして惹かれた。

店を出たぼくたちは千鳥足だった。そのときは本当に最高の気分だった。夜風が気持ち良かった。俳句も、俳句を取り巻く人も、悪くないじゃないかと思った。銀漢亭に行くとはそういうことなんだなと思った。うまく言えないが、漠然と何かを信じることが出来るようになるのだなと思った。ぼくは銀漢亭の常連には時期的になることが出来なかったけれども、でもそれで良かった気がしている。ぼくにとっては、一夜かぎりの出来事として記憶する方が、銀漢という語のもつ遥かな響きがしっくり来るのだ。


【執筆者プロフィール】
柳元佑太(やなぎもと・ゆうた)
1998年生まれ。北海道旭川東高校在学中に作句を始める。2017年大学進学のため上京、同年「」入会。短詩型ブログ「帚」運営。



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