【第44回】
安房と鈴木真砂女
広渡敬雄(「沖」「塔の会」)
安房は房総半島南部の三方を東京湾と太平洋に囲まれた地域で、旧国名で房州とも言われる。滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」で名高い里見氏が、戦国から江戸時代初期に統治したが、その改易後は館山藩等の小藩の支配となり、明治期に、上総、下総ともに千葉県となった。
明治大正期に設置された野島埼灯台(白浜)、洲崎灯台が知られ、黒潮の影響で暖かく、無霜地帯の段丘面には、お花畑、枇杷畑が続く。漁業も盛んで、海女の鮑取りも有名。
平家打倒で立ち上がったものの石橋山で惨敗した源頼朝が、逃れて再興の地となった(仁右衛門島他)。又日蓮の誕生地(誕生寺)、清澄寺、大山千枚田に加え、日本で四ケ所しかない沿岸捕鯨地・ツチクジラの和田浦も名高い。
あるときは船より高き卯浪かな 鈴木真砂女
船焼いて海国安房の出穂ぐもり 能村登四郎
安房寒し夕波立てて晒し波 秋元不死男
貝こきと噛めば朧の安房の国 飯田龍太
重なりてみな枇杷山や安房郡 岡田耿陽
ポピー咲き海の際まで生花村 菖蒲あや
女手に井のふたおもき雪柳 岡本眸(仁右衛門島)
爽やかや漕ぐにおくれて櫓の軋み 片山由美子
頼朝の島へ乗つ越す春の潮 佐怒賀直美
軒低き捕鯨の町や燕来る 広渡敬雄(和田浦)
灯台は天の日時計鳥渡る 石崎和夫(野島埼灯台)
〈卯浪〉の句は、昭和26年作、第一句集『生簀籠』に収録、仁右衛門島に平成7年建立の句碑がある。
自註に「小舟が一つ波にあやつられ、うねりの陰に見えなくなったかと思うと再び姿を見せる。人生も波の山から奈落へ。そして再び浮き上がる」と記す。「写生の句だが、人生の危機感を象徴するかのように鑑賞出来るのも、波が舟より高くなった構図と、季語の「卯波」の持つ含蓄の働きによる」(鷹羽狩行)、「今にも船を呑み込むように白波が立ち上がる。真砂女の人生と共に卯浪の白さの余韻が静かに伝わって来る」(鳥居真里子)等の鑑賞がある。
鈴木真砂女は、明治39(1906)年、鴨川町の老舗旅館「吉田屋」(現鴨川グランドホテル)の三女として生まれる。日本女子商業学校(現嘉悦学園)卒業後の初婚は夫の失踪で破局、実家に戻ってまもなく、女将だった長姉・柳の逝去後、その夫(義兄)の後妻となり、吉田屋の女将となった。俳句は柳の俳句の大先輩大場白水郎により「春蘭」(のち「縷紅」)を経て昭和23(1948)年久保田万太郎の「春燈」に入門。持ち前の努力でめきめき頭角を現し、その死後は安住敦に師事した。
同30(1955)年第一句集『生簀籠』上梓、同32年、51歳の時、道ならぬ恋で家を出て、銀座一丁目の「幸稲荷」で小料理屋「卯波」を開店。生来の才覚と気働きで俳人、出版人を中心に繁盛した。生涯の句集七冊、他に『銀座に生きる』等の洒脱なエッセイも好評で、一般の人からも親しまれ、丹羽文雄『天衣無縫』、瀬戸内寂聴『いよよ華やぐ』の小説のモデルにもなった。平明ながら生活感、人間味の発露の句に特徴がある。晩年の活躍は殊に素晴らしく、第四句集『夕蛍』で俳人協会賞(70歳)、第六句集『都鳥』で読売文学賞(89歳)、第七句集『紫木蓮』で蛇笏賞(93歳)に輝いた。平成15(2003)年、九十六歳で逝去。
残念ながら、孫の今田宗男氏が継承した「卯波」は、その後閉店したが、真砂女縁戚経営の「鴨川グランドホテル」の庭園に「初凪」の句碑が、同ホテル内に「俳人鈴木真砂女ミュージアム」が開設され、真砂女の多数の遺品が展示されている。
第二句集『卯波』の序文で師・久保田万太郎は、真砂女俳句を①卯波の女主人としての姿②海に憑かれた女の一生③女としてのいのちの流転と評した。「作者自身の「人間像」を作品の中に描き出している」(石田波郷)、「実人生のどこを切ってもふきだすドラマは「私小説」に対する「私俳句」である」(瀬戸内寂聴)、「人口に膾炙しやすく切なさと艶やかさにまみれた通俗に徹した俳人真砂女」(歌人松平盟子)、「年を重ねて益々艶やかになった真砂女を思うと、つくづくと去って行った人の後姿は、その人の生き方をこの世に遺すものだと思う」(宇多喜代子)、「女将「鈴木マサ」と俳人「鈴木真砂女」は表裏一体をなし、共に生身且つ捨て身の生き方が多くの人の共鳴を得た」(中原道夫)、「師万太郎の指摘の中での「海」が、真砂女の矜持を支える。生涯「海」を詠み続け、心に波音を棲まわせている。房州の海があるからこそ、作品は通俗に陥らず、高い詩情を保つ」(角谷昌子)、「最晩年の桜の句は、あでやかで潔い桜が、真砂女の全人生を象徴している」(浦川聡子)等々の鑑賞がある。
初凪やものゝこほらぬ国に住み
羅や人悲します恋をして
すみれ野に罪あるごとく来てふたり
羅や細腰にして不逞なり
夏帯や運切りひらき切りひらき
闇空をつらぬくものやほとゝぎす(久保田万太郎先生急逝)
白桃に人刺すごとく刃を入れて
波郷忌や波郷好みの燗つけて
湯豆腐や男の歎ききくことも
鯛は美のおこぜは醜の寒さかな
かくれ喪にあやめは花を落しけり(さる人の死を悼む)
ふるさとを野火に追はるるごとく出でし(そのむかし)
今生のいまが倖せ衣被
師を逝かすこの長梅雨を憎みけり(安住敦先生逝去)
衣ずれの音をきかせよ雪女
人あまた泳がせて海笑ひけり
恋を得て蛍は草に沈みけり
死なうかと囁かれしは蛍の夜
来てみれば花野の果ては海なりし
戒名は真砂女でよろし紫木蓮
ふるさとの蔵にわが雛泣きをらむ
涅槃西風銀座の路地はわが浄土
生涯を恋にかけたる桜かな (最晩年)
天性とも言える季語の斡旋の見事さが、真砂女俳句の真骨頂で我々を潮の香のする詩情豊かな世界に導く。
(「青垣12号」加筆再構成)
【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会幹事。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。
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