俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第11回】三田と清崎敏郎

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【第11回】三田と清崎敏郎

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)

東京港区三田界隈は、江戸時代は海岸沿いの東海道から西に広がる台地で、薩摩藩、松山藩、久留米藩等の藩邸、御家人屋敷や寺院が占めていた。福沢諭吉が築地鉄砲洲の自藩(中津藩)藩邸に設立していた「蘭塾」を、明治4(1871)年当地島原藩邸に移して設立した慶應義塾は、以来我が国を代表する私立総合大学として発展した。 

慶応大学東門

構内の三田演説館と赤煉瓦の英国風ゴシック建設の図書館は、国の重要文化財である。「三田文学」「慶大俳句」も名高く多くの著名小説家、詩人、俳人等を輩出している。

蹤いてくるその足音も落葉踏む    清崎敏郎

春風や闘志いだきて丘に立つ     高浜虚子

三田といへば慶應義塾春の星     深川正一郎

しぐるるや大講堂の赤れんが     久保田万太郎

恋占ひもありて三田祭銀杏散る    有馬籌子

若葉冷えて三田に山本健吉忌     草間時彦

理髪師に夜寒の椅子の空いてゐる   石川桂郎

雁わたる三田に古りたる庇かな    石田波郷

三田二丁目の秋ゆうぐれの赤電話   楠本憲吉 

秋風や三田山上に春夫詩像      宮脇白夜

〈落葉踏む〉の句は昭和59年の作、第四句集『系譜』の掉尾の句。「落葉を踏んで歩く時、孤独感のうちにも、今の自身の存在を改めて確認し、もう一つの足音を聞いている。自分に蹤き従って歩む者の落葉を踏む音でもあり、創作の道を歩く師弟関係を思わせる」(西村和子)、「風生を引き継ぐ覚悟が詠われ、弟子も又一人一人の覚悟を味わい、ここには確かな道筋も見える(草深昌子)等の鑑賞がある。

慶応大学東門より図書館

ちなみに虚子の句は、大正2年、三田俳句会での作で、河東碧梧桐の新傾向俳句隆盛に対する俳壇復帰宣言とされ、同校出身の万太郎のこの句碑は、図書館右奥手にある。又桂郎は父の代から三田聖坂で理髪店を営んでいた。

清崎敏郎は、大正11(1922)年、東京市赤坂区生まれ、府立一中(現日比谷高校)在学中に結核性股関節炎にかかり、休学療養中に句作を始めた。富安風生が選者をしていた読売俳壇の選に入り、風生主宰の「若葉」に投句し師事する。昭和17(1942)年、慶應大学文学部に入学、折口信夫、池田弥三郎のもとで民俗学を学ぶ。                         

その後高浜虚子に会い、「ホトトギス」に入り、同21年に楠本憲吉(野の会)、大島民郎(馬酔木)らと共に「慶大俳句研究会」を設立し、会誌として「慶大俳句」を発刊。更に翌年、同年代の上野泰、深見けん二、湯浅桃邑らとホトトギス新人会を結成し、虚子選を目指して競い合い、山中湖畔、鹿野山稽古会では、関西の波多野爽波等とも交流を深めた。

同23年の大学卒業後、同付属中等部(後の高等学校)の教員となり、慶大、同大学院でも教鞭をとった。同34(1959)年,ホトトギス同人となり、同39年、富安風生序文の第一句集『安房上総』、その後『島人』『東葛飾』を上梓した。同54年、風生逝去後、「若葉」主宰を継承し、読売俳壇選者となった。

社会性や生活詠よりも自然詠を専らとし、平明な言葉、単純化された詠み方で、季語の本質に迫る俳句を目指した。虚子に教えを受けた客観写生、花鳥諷詠を、生涯の俳句信条として「若葉」「慶大俳句」にて若手俳人を指導し、鈴木貞雄、伊東肇、本井英、行方克己、西村和子、三村純也等を育てた。平成9(1997)年、句集『』で第37回俳人協会賞を受賞後の同11年5月12日、77歳で逝去。句集は他に、『系譜』『海神』『自註清崎敏郎集』。評論集『俳諧と民俗学』、編書『虚子の名句』『富安風生の世界』、共編『虚子物語 花鳥諷詠の世界』がある。

「句風は静謐な詩に加え、その上にほのかに一連の光明のさした明るい境地である」(富安風生)、「俳壇の動きには動ぜず俳句を愛する信念の作家で、近時貴重な存在である」(安住敦)「花鳥諷詠・客観写生を確固たる作家信条とし、ひたすら自己の文体をもって終始一貫一つの攻め口を攻め続ける単純淡彩がこの作者の真骨頂」(山崎ひさを)、「虚子の最晩年の弟子としてその謦咳に直接触れ得たことは、敏郎の俳句生涯で極めて大きかった」(西村和子)等々の鑑賞がある。

コスモスの押しよせてゐる厨口

かなかなのかなかなと鳴く夕かな *「かなかな」の後半はいずれも踊り字

歩をゆるめつゝ秋風の中にあり(折口先生逝去)

畦を塗る心になりて見てをりぬ

はばからず墓前を草刈女が通る(折口先生一周忌)

あらはれし干潟に潮が流れをり

口曲げしそれがあくびや蝶の昼

銀漢の尾を垂れにけり島泊り

能登の海春田昃れば照りにけり 

濱焚火暁けはなれたる色となり

このあたり真間の二丁目秋祭

犬ふぐり咲くよと見ればかたまれる

うすうすとしかもさだかに天の川

暗がりの鵜籠にも鵜のをるらしく

牡丹の次の蕾の恃しき

滝落としたり落としたり落としたり

ゆるぎなき青田の色となりにけり

鈴虫のこの音飼はるるものならず

旧制中学時代に、病気による休学療養生活で俳句への思いを高め、その後虚子に心酔し、花鳥諷詠、客観写生の道を貫いた。景は外光派的な華麗さはなく、抑制的な淡彩であるが、「かなかな」や「滝落としたり」の句の様に、「畳語表現」で独自の世界を切り開いた感がある。

「若葉」「慶大俳句」で育てた伝統俳句の若き俊英が、現在の俳句界で影響力を持ち、指導的な地位にあるのも、清崎敏郎の遺産とも言えよう。

(「たかんな」令和二年十一月号より転載)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。



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