オリヲンの真下春立つ雪の宿 前田普羅【季語=春立つ(春)】

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オリヲンの真下春立つ雪の宿

前田普羅
(『普羅句集』昭和5年 辛夷社)


例えば、普段出ている句会にこの句がぽんと置かれていたとして、あなたはこの句を選に入れるだろうか?ツッコミどころはいろいろある。なんで「オリオン」ではなく「オリヲン」なん?とか、なんで季語が三つも入れてある?とか。あるいは「真下」で立春が来るというのはちょっと主観的すぎる把握なんじゃないか、とか。それらは、この句が詠まれて後の、一般の仮名遣いの変化があったり、季語は一句に一つのみという文芸上たいして根拠がなく、たぶん初心者指導の方便が慣習化した悪癖であったり、主観は排すべしと教わることが俳壇で何十年と続いた結果起きた変化によるもので、考えようによっては我々の目が汚れているということなのかもしれない。もちろん当の作者前田普羅には、なんの関係もないことである。言い換えれば、この辺りの時代(大正期あたり)の作家達を読み直すと、その後の変遷を経て変容した今日の俳句の詠み方が相対化されるところがあるように思う。前田普羅は虚子門。掲句は関東大震災で家財を失って富山に転居して二年後の作である。ゆえにこの「オリヲン」は、立春の夜の富山の空のもの。おそらく、すばらしい冬空であったろう。立春の夜、満天の星空にひときわオリオンが輝き、その直下、雪の積もる中に我家がある、という句。切り取った景が大きく、垂直そのままなのである。作家はこの場所で、たしかな生きる実感を得ているような気がする。

ところで、「オリオン」や「三つ星」が単体の季語として詠まれるのを善とするようになったのは、いつの頃からなのであろう。大歳時記の類は単体で立項しているけれども、例句を読むと、草田男の「オリオンと店の林檎が帰路の栄(はえ)」くらいが例外(これも林檎のあるややこしさはあるが)で、山口誓子や藤田湘子ら、多くは「寒オリオン」「冬三つ星」あるいは他の冬の季語とセットで用いていて詠んでいる。逆に言えば、その世代くらいまでは、単体で季語扱いすることに抵抗があったと想像される。ついでに言えば、「オリヲン」がなぜ「ヲン」と表記されるのかも気になるところだが、これは今のところ資料が見つからない。(句の引用は『現代日本文学全集91 現代俳句集』筑摩書房 1957年に拠った)

橋本直


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


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