蓮ほどの枯れぶりなくて男われ 能村登四郎【季語=枯蓮(冬)】


蓮ほどの枯れぶりなくて男われ

能村登四郎


先週<略図よく書けて忘年会だより>という句を紹介しましたが、全国の能村登四郎ファンに何となく申し訳ない気がしています。そこで引き続き『寒九』からこんな句は如何でしょう。

枯蓮を見る度、夏のあいだ大きな葉の上に美しい花を戴き婉然と風に揺れていた姿との余りのギャップに驚かずにはいられない。蓮の骨、とも呼ばれるように、茎も葉も水分がすっかり抜け、がっくりと頭を水面に漬けている。みすぼらしいというより荒寥とした景色はそれなりに興趣をそそるものだ。

能村登四郎もまた枯れ果てた蓮を好意と共に眺めている。「枯れぶり」の言い回しにそれが窺える。惚れ惚れする枯れっぷりだなあ、という訳だ。昭和六十年発表なので、このとき七十四歳。写真で見る限り痩躯である。年齢や体型から自分と蓮を”枯“において引き較べるのも自然の成り行きだろう。そうして、目の前の蓮ほど枯れきっていないものを自らの内に見出した。枯淡の境地に遠いと一見謙遜しているようで、実はその逆。ここに突如出てくる「男」なる自覚の生々しさにドキリとする。まだまだ流れている熱い血、そして湧き上がる気力。下五でこんな技をかけてくるところ、さすが芸達者。

(『寒九』角川書店 1987年より)

太田うさぎ


【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』


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