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【毛の俳句】

【毛の俳句】

【解説】原始、女性が太陽であったように、かつて人間は毛むくじゃらでした。そう、動物園で出会う多くの動物たちのように。それは、現在のわたしたちにとっての「衣服」であったわけで、羞恥という感情を人間が覚える以前のことのおはなし。

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衣服の機能は言うまでもなく、体温を維持することと、怪我や火傷から皮膚を守こと。毛を喪失した人間は、寝るときには「羽毛」布団をもって、外を出歩くときには「毛皮」や「ダウンジャケット」、あるいはコットン(綿毛)でできた服を着て生活をすることになります。虎の衣を狐が借りるがごとく、人間はしばしな自然界の「毛」を拝借して生活しています。

もちろん、人間がすべての毛を失っただけではなく、たとえば鼻毛は、いまだに外の世界から到来する何者かをせき止める重要な役割をになっています。

とはいえ、毛という存在は、本質的に一途なもの。人間が、伸びた鼻毛を気にするようなこと、つまり羞恥の感情に毛はまったくもってノータッチです。毛は、ヒトが生物として生命維持活動を営むことと、社会のなかで社会的に振舞うことのはざまで、はやされたり剃られたりするわけです。

こういうわけで、人間が必要とする「社会的な毛」以外には、「ムダ毛」という烙印が一方的に押されることになります。

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社会性のある毛は、いうまでもなく「髪の毛」でしょう。男性であればさらに、髭が、場合によっては胸毛がそのような価値を与えられます。それらは文脈によって、性的な「らしさ」や、個としてのアイデンティティ、流行、あるいは権威性などをまとうことになります。

佐藤文香さんの「ネオ歳時記」には、【春の季語】として「鼻毛抜く」が登場。どんなに美しい人であっても、どんなに知性的な人であっても、見えないところで鼻毛は抜いているはず。新学期に合わせた春の季感があるかどうかはわからないけれど、しかし顔の中心部に位置する「ムダ毛」であるところの鼻毛は、臑毛に比べれば、俳句でも詠まれる対象です。かの夏目漱石が、執筆に行き詰まると鼻毛を抜いて並べる癖があったというのは、有名な話です。

さて俳句では、【夏の季語】に「髪洗ふ」、【秋の季語】に「木の葉髪」、【新年の季語】に「初髪」があります。以下では〈鷲老いて胸毛ふかるる十二月 桂信子〉や〈初荷橇まつ毛の長き馬に逢ふ 本宮哲郎〉のような動物の毛を詠んだ句は含まず、人間の毛を扱った句のアーカイブを増やしていきます。


季語以外の「毛の俳句」

【髪】
ぞつくりと僕の髪の毛が死んでゐる 日野草城
雪晴れの船に乗るため散髪す 西東三鬼
入水せし御髪に似たり須磨和布 阿波野青畝
後ろにも髪脱け落つる山河かな 永田耕衣
髪の毛ほどの掏摸消え赤い蛭かたまる 赤尾兜子
子の髪の風に流るる五月来ぬ 大野林火
はしやぎおり髪の毛茂る生身魂 金子兜太
永き日や漱石に髭子規に鬚 矢島渚男
遺髪となる髪をのばさむ草の花 大木あまり
舞ふブロンドの髪のサラダよ星条旗 攝津幸彦
紅梅の御髪(みぐし)おろせしはたちかな 筑紫磐井
ひつそりと後ろ髪引く白牡丹 内田美紗
チャーリー・ブラウンの巻き毛に幸せな雪 野口る理

【髷(もとどり・たぶさ)】
植ゑ田水自決の髻さへ映す 竹中宏
雪女郎血の髻を提げゐたり 三村純也

【鬚】
永き日や漱石に髭子規に鬚 矢島渚男

【眉毛】
立ち去る事一里眉毛に秋の峰寒し 蕪村
焚火ほこり眉毛にかかる日和かな 臼田亜浪
墨するや秋夜の眉毛うごかして 飯田蛇笏
眉毛にも耳朶にも著けり隙間風 相生垣瓜人
合歓の花眉毛濃ゆくて佐渡に住む 斎藤夏風
眉毛剃り落して後の更衣 茨木和生
笛の衆眉毛に霧をのせてをり 岡田一夫
花狩へひとりは眉毛なかりけり 中田剛

【睫毛】
まなざしに被さる睫毛山の秋 阿川道代
さかさ睫毛抜いて八月十五日 伊達みえ子
花冷や死者の睫毛の白かりき 浦川聡子
雨水とは光を待っている睫毛 なつはづき

【鼻毛】
宿替に鼻毛もぬきぬ梅の花 上島鬼貫
ずんずんと鼻毛の伸びる梅雨かな 丸谷才一
鼻毛抜きをればたまたま漱石忌 伊藤伊那男
返り花ゾーリンゲンの鼻毛切り 小西昭夫

【耳毛】
早乙女の耳の産毛の金色に 福田甲子雄

【髭】
師走六日初雪消えて髭のびて 林原耒井
ほのかなる少女の髭の汗ばめる 山口誓子
甚平や薄髭これも親譲り 石塚友二
西東忌貯へしもの髭一つ 鷹羽狩行
葉ざくらや病めるにあらぬ無精髭 鷹羽狩行
髭剃つて来たるはひとり雨祝 茨木和生
阿弖流為の髭より冬の蝗跳ぶ 高野ムツオ
ポスターに髭のらくがき夏の果 飯島正人
初夢に復員父の髭の顔 岩井あき
草かげろふ口髭たかきデスマスク 田中裕明
出行会つかれし僧の髭わびし 石寒太
マネの髭モネの髯秋深みたる 石嶌岳
迎え来る残暑の街と夫の髭 対馬康子
父の髭痛し栄螺の角痛し 小澤實
粕汁や明治の文士髭ゆたか 中西夕紀

【胸毛】
しら露やさつ男の胸毛ぬるるほど 蕪村
火酒に燃ゆ胸毛なりけり渋団扇 久米正雄
火祭の火の粉とびつく胸毛かな 出牛青朗
ピカソの胸毛消えて梅雨蒸す地下シネマ 伊丹三樹彦

【脇毛・腋毛】
二の腕に腋毛をはさむ夏休 平畑静塔
麦刈りの少年の腋毛おどろかす 能村登四郎

【臑毛】
陶人(すえびと)が山あげ谷あげ脇毛掻き 岩田秀一
水取の僧も毛臑を持ち給ふ 大石悦子
冬の月男が脛毛剃つてをり 大和田アルミ

【産毛】
少年のうぶ毛輝く聖五月 山内遊糸
早乙女の耳の産毛の金色に 福田甲子雄
笛を吹く頬の産毛や風光る 角谷昌子

【毛一般】
春なのにいきとしいけるものに毛がない 村井和一



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