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色里や十歩離れて秋の風 正岡子規【季語=秋の風 (秋)】

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色里や十歩離れて秋の風 

正岡子規(「散策集」)


「宝厳寺の山門に腰うちかけて」と前書。この寺は一遍上人の生誕地で、今は境内にこの句碑がある。初読、「十歩」という措辞の妙な調子のよさとか、「色里」という語の近世的古風にどこか虚構っぽさを感じたのだが、実際はそうではない。今から125年前の明治28年10月6日、愚陀仏庵で同居生活をしていた子規と漱石は、道後温泉に吟行にゆく。「散策集」には「松枝町を過ぎて宝厳寺に謁(まう)づ」とある。この寺は、道後温泉本館から少し離れた高台にあり、当時その道程のゆるい坂の両脇には、寺の直近まで松枝遊郭の妓楼が軒を並べていた。その様子を後年、漱石は「坊ちゃん」に「山門のなかに遊廓があるなんて、前代未聞の現象だ」と言わせている。だからこの「十歩離れて」には、その遊郭を通り抜けた子規の実感が含まれている。濃密な人の情欲の場をくぐり抜けた目と鼻の先にある秋風の吹く寺なんて、ちょっと出来すぎた異世界ではないか。

この時、半年も遡らない日清戦争帰りの船の上で喀血して長期入院療養を余儀なくされていた子規は、なお己の死と生を思っていただろう。そんな死病をかかえ転がり込んできた友を一つ屋根の下に受け入れた漱石は、この年から作句数が急に増えてゆく。このコロナ禍の世界にあっては、そんな彼らの明治28年が、以前より少しだけ親しく感じられる。

(橋本直)


🍀 🍀 🍀 季語「秋の風」については、「セポクリ歳時記」もご覧ください。


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。

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