ハイクノミカタ

櫻の樹だつたのか土龍散步する 片上長閑


櫻の樹だつたのか土龍散步する)

片上長閑


先日、電車の中で山尾悠子『ラピスラズリ』を眺めながら、書くということについて改めて考えました。

『ラピスラズリ』はこちらのインタビューを読んで思わず購入しました。「昔は女にはそういう空想力はないって言われてたんですよね。女は台所にいて、半径何百メートルの世界にしか目がいかないと。」という一文が、もう本当に重く心に響いてしまって。

『ラピスラズリ』はいろいろな意味でささっとは読み進められない小説でした。ただ、その字面と一緒にいると、心がすーっと静かになります。わたしにとって山尾悠子の文章とともに時をすごすとは、彼女が書かないでいた時間の長さを感じ取ることであり、また誰もがそれぞれの生の条件の中でもの作りをしている事実を再確認することであり、ひとりの女性として励まされるようです。

   櫻の樹だつたのか土龍散步する  片上長閑

句集『ちりあくた』より。もぐらといえば目がみえず、鼻もきかない生き物。いったいどうやって桜の花を認識したのでしょう。根っこのかたちによって? 花降る音の闇によって? いずれにせよ他とはちがう独自の方法によってそれを知ったに違いなく、ひょっとすると桜というのは勘違いかもしれないけれど、ここで重要なのは認識の正しさよりもむしろ、このもぐらがそれ固有の生の条件の中でなにかを発見したという確かな〈心の動き〉です。

掲句は「櫻の樹だつたのか」という台詞調と「土龍散歩する」という描写との組み合わせがユーモラス。散歩と発見との相性もよく、ユリイカ的シーンに明るい光が降り注いでいます。たとえもぐらがその明るい光を感知することはないとしても、いやないからこそよけいに、認識の光というものが無償の賜物であることが伝わってきます。

小津夜景


【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記


【小津夜景のバックナンバー】
>>〔51〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺     正岡子規
>>〔50〕ミステリートレインが着く猿の星   飯島章友
>>〔49〕あさがほのたゝみ皺はも潦      佐藤文香
>>〔48〕かき冰青白赤や混ぜれば黎      堀田季何
>>〔47〕けさ秋の一帆生みぬ中の海       原石鼎
>>〔46〕おやすみ
>>〔45〕藍を着古し/棚田の/父祖の/翳となる 上田玄
>>〔44〕カルーセル一曲分の夏日陰        鳥井雪
>>〔43〕ひと魂でゆく気散じや夏の原     葛飾北斎
>>〔42〕海底に足跡のあるいい天気   『誹風柳多留』
>>〔41〕ひまわりと俺たちなんだか美男子なり  谷佳紀
>>〔40〕かけろふやくだけて物を思ふ猫      論派
>>〔39〕木琴のきこゆる風も罌粟畠       岩田潔
>>〔38〕蟭螟の羽ばたきに空うごきけり    岡田一実
>>〔37〕1 名前:名無しさん@手と足をもいだ丸太にして返し  湊圭伍
>>〔36〕おやすみ
>>〔35〕夏潮のコバルト裂きて快速艇     牛田修嗣
>>〔34〕老人がフランス映画に消えてゆく    石部明
>>〔33〕足指に押さへ編む籠夏炉の辺     余村光世
>>〔32〕夕焼けに入っておいであたまから    妹尾凛
>>〔31〕おやすみ
>>〔30〕鳥を見るただそれだけの超曜日    川合大祐
>>〔29〕紀元前二〇二年の虞美人草      水津達大
>>〔28〕その朝も虹とハモンド・オルガンで   正岡豊
>>〔27〕退帆のディンギー跳ねぬ春の虹    根岸哲也
>>〔26〕タワーマンションのロック四重や鳥雲に 鶴見澄子
>>〔25〕蝌蚪の紐掬ひて掛けむ汝が首に     林雅樹
>>〔24〕止まり木に鳥の一日ヒヤシンス   津川絵理子
>>〔23〕行く春や鳥啼き魚の目は泪        芭蕉
>>〔22〕春雷や刻来り去り遠ざかり      星野立子
>>〔21〕絵葉書の消印は流氷の町       大串 章

>>〔20〕菜の花や月は東に日は西に      与謝蕪村
>>〔19〕あかさたなはまやらわをん梅ひらく  西原天気
>>〔18〕さざなみのかがやけるとき鳥の恋   北川美美
>>〔17〕おやすみ
>>〔16〕開墾のはじめは豚とひとつ鍋     依田勉三
>>〔15〕コーヒー沸く香りの朝はハットハウスの青さで 古屋翠渓
>>〔14〕おやすみ
>>〔13〕幾千代も散るは美し明日は三越    攝津幸彦
>>〔12〕t t t ふいにさざめく子らや秋     鴇田智哉
>>〔11〕またわたし、またわたしだ、と雀たち 柳本々々
>>〔10〕しろい小さいお面いっぱい一茶のくに 阿部完市
>>〔9〕凩の会場へ行く燕尾服        中田美子
>>〔8〕アカコアオコクロコ共通海鼠語圏   佐山哲郎
>>〔7〕後鳥羽院鳥羽院萩で擲りあふ     佐藤りえ
>>〔6〕COVID-19十一月の黒いくれよん   瀬戸正洋
>>〔5〕風へおんがくがことばがそして葬    夏木久
>>〔4〕たが魂ぞほたるともならで秋の風   横井也有
>>〔3〕渚にて金澤のこと菊のこと      田中裕明
>>〔2〕ポメラニアンすごい不倫の話きく   長嶋 有
>>〔1〕迷宮へ靴取りにゆくえれめのぴー   中嶋憲武



【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 螢とび疑ひぶかき親の箸 飯島晴子【季語=蛍(夏)】
  2. 横顔は子規に若くなしラフランス 広渡敬雄【季語=ラフランス(秋)…
  3. 南海多感に物象定か獺祭忌 中村草田男【季語=獺祭忌(秋)】
  4. 菜の花の斜面を潜水服のまま 今井聖【季語=菜の花(春)】
  5. 雪が降る千人針をご存じか 堀之内千代【季語=雪(冬)】
  6. 秋風や眼中のもの皆俳句 高浜虚子【季語=秋風(秋)】
  7. 餅花のさきの折鶴ふと廻る 篠原梵【季語=餅花(新年)】
  8. 月光や酒になれざるみづのこと 菅 敦【季語=月光(秋)】

おすすめ記事

  1. ソーダ水方程式を濡らしけり 小川軽舟【季語=ソーダ水(夏)】
  2. 【春の季語】建国記念の日/建国記念日 建国の日 紀元節
  3. 【夏の季語】小満
  4. 【夏の季語】蚊/藪蚊 縞蚊 蚊柱
  5. 【春の季語】バレンタインの日(バレンタインデー)
  6. 逢曳や冬鶯に啼かれもし 安住敦【季語=冬鶯(冬)】
  7. 【書評】中沢新一・小澤實『俳句の海に潜る』(角川書店、2016年)
  8. 【結社推薦句】コンゲツノハイク【2022年8月分】
  9. 赤ばかり咲いて淋しき牡丹かな 稲畑汀子【季語=牡丹(夏)】
  10. 葛の花こぼれやすくて親匿され 飯島晴子【季語=葛の花(秋)】

Pickup記事

  1. 「野崎海芋のたべる歳時記」苺のシャンティイ風
  2. 片足はみづうみに立ち秋の人 藤本夕衣【季語=秋(秋)】
  3. 倉田有希の「写真と俳句チャレンジ」【第5回】
  4. 青葉冷え出土の壺が山雨呼ぶ 河野南畦【季語=青葉冷(夏)】
  5. 夏場所や新弟子ひとりハワイより 大島民郎【季語=夏場所(夏)】
  6. デモすすむ恋人たちは落葉に佇ち 宮坂静生【季語=落葉(冬)】
  7. 【冬の季語】豆撒く
  8. 忘年会みんなで逃がす青い鳥 塩見恵介【季語=忘年会(冬)】
  9. 九頭龍へ窓開け雛の塵払ふ 森田愛子【季語=雛(春)】
  10. 【春の季語】雲雀
PAGE TOP