ハイクノミカタ

春雷や刻来り去り遠ざかり 星野立子【季語=春雷(春)】


春雷や刻来り去り遠ざかり

星野立子


どうして春雷というのは、いつも遠くに聞こえるのだろう。手の届かないところで鳴り、なにかをうながすようにして遠ざかる。

   春雷や刻来り去り遠ざかり   星野立子

〈刻来り去り遠ざかり〉の凛とした諦念に、誰かとの別れを暗示しているのではないかといった思いがうかぶ。調べてみると、こちらの一句鑑賞では「立子は、干した物を取り込みに出た父の家の濡縁で、春雷を聞いた。ぽつりぽつり降りだした雨はどっと大雨になり、春雷が又鳴り渡った。やがて雨が止み、日も射し始めた。この二日後、虚子は眠るように大往生した」とあり、父・高浜虚子との別れを予感する句として読まれていた。

万人に来り去る刻限よりも、ずっとはるかなる時間。迷える人間には届かない、大いなる意思決定としての轟。春雷が担っているのはそうした世界の存在である。立子の句と同じ形をした歌として、俵万智『かぜのてのひら』から次の歌を引く。

  ひきとめる言葉を持たぬ風の中うながすような春雷を聞く  俵万智

小津夜景


【小津夜景のバックナンバー】
>>〔21〕絵葉書の消印は流氷の町       大串 章
>>〔20〕菜の花や月は東に日は西に      与謝蕪村
>>〔19〕あかさたなはまやらわをん梅ひらく  西原天気
>>〔18〕さざなみのかがやけるとき鳥の恋   北川美美
>>〔17〕おやすみ
>>〔16〕開墾のはじめは豚とひとつ鍋     依田勉三
>>〔15〕コーヒー沸く香りの朝はハットハウスの青さで 古屋翠渓
>>〔14〕おやすみ
>>〔13〕幾千代も散るは美し明日は三越    攝津幸彦
>>〔12〕t t t ふいにさざめく子らや秋     鴇田智哉
>>〔11〕またわたし、またわたしだ、と雀たち 柳本々々
>>〔10〕しろい小さいお面いっぱい一茶のくに 阿部完市
>>〔9〕凩の会場へ行く燕尾服        中田美子
>>〔8〕アカコアオコクロコ共通海鼠語圏   佐山哲郎
>>〔7〕後鳥羽院鳥羽院萩で擲りあふ     佐藤りえ
>>〔6〕COVID-19十一月の黒いくれよん   瀬戸正洋
>>〔5〕風へおんがくがことばがそして葬    夏木久
>>〔4〕たが魂ぞほたるともならで秋の風   横井也有
>>〔3〕渚にて金澤のこと菊のこと      田中裕明
>>〔2〕ポメラニアンすごい不倫の話きく   長嶋 有
>>〔1〕迷宮へ靴取りにゆくえれめのぴー   中嶋憲武


【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記



【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 後輩の女おでんに泣きじゃくる 加藤又三郎【季語=おでん(冬)】
  2. 水を飲む風鈴ふたつみつつ鳴る 今井肖子【季語=風鈴(夏)】
  3. 襖しめて空蟬を吹きくらすかな 飯島晴子【季語=空蟬(夏)】
  4. かゝる世もありと暮しぬ春炬燵 松尾いはほ【季語=春炬燵(春)】
  5. 月光にいのち死にゆくひとと寝る 橋本多佳子【季語=月光(秋)】
  6. 廃墟春日首なきイエス胴なき使徒 野見山朱鳥【季語=春日(春)】
  7. むかし吾を縛りし男の子凌霄花 中村苑子【季語=凌霄花(夏)】
  8. 昼ごろより時の感じ既に無くなりて樹立のなかに歩みをとどむ 佐藤佐…

おすすめ記事

  1. 山茶花の弁流れ来る坂路かな 横光利一【季語=山茶花(冬)】
  2. 馬小屋に馬の表札神無月 宮本郁江【季語=神無月(冬)】
  3. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第57回】 隠岐と加藤楸邨
  4. 【春の季語】霞
  5. オルゴールめく牧舎にも聖夜の灯 鷹羽狩行【季語=聖夜(冬)】
  6. 薔薇の芽や温めておくティーカップ 大西朋【季語=薔薇の芽(春)】
  7. 【連載】もしあの俳人が歌人だったら Session#12
  8. 冬ざれや石それぞれの面構へ 若井新一【季語=冬ざれ(冬)】
  9. 【クラファン目標達成記念!】神保町に銀漢亭があったころリターンズ【14】/野村茶鳥(屋根裏バル鱗kokera店主)
  10. 追ふ蝶と追はれる蝶の入れ替はる 岡田由季【季語=蝶(春)】

Pickup記事

  1. 中年や遠くみのれる夜の桃 西東三鬼【季語=桃(秋)】
  2. コンゲツノハイクを読む【2021年7月分】
  3. 【秋の季語】二百十日/厄日 二百二十日
  4. 【春の季語】鳥の妻恋
  5. 禁断の木の実もつるす聖樹かな モーレンカンプふゆこ【季語=聖樹(冬)】
  6. 背のファスナ一気に割るやちちろ鳴く 村山砂田男【季語=ちちろ鳴く(秋)】
  7. 「パリ子育て俳句さんぽ」【6月4日配信分】
  8. 「ハイブリッド句会」の勧め!
  9. 神保町に銀漢亭があったころ【第48回】松尾清隆
  10. 【春の季語】春分
PAGE TOP