t t t ふいにさざめく子らや秋
鴇田智哉
風景とはなにか。それは風のすがたである。風はさまざまにその響きを変えることでわたしたちの感覚に傷をのこし、ぼんやりとした世界の影を授ける。そしてわたしたちは、その世界の影を実体だと思い込み、あらゆる意味のうらがわに風の栖(すみか)がひろがっていたことをいつしか忘れてしまう。
t t t ふいにさざめく子らや秋 鴇田智哉
最新句集『エレメンツ』より。ここに描かれているのは、なにもないところからなにかが生まれる一瞬だ。構成はきわめてシンプルで、音の気配〈 t t t 〉と、この世への恋しさが伏在する〈子らや秋〉とを、〈ふいにさざめく〉といったサウンドスケープでつないだだけ。しかしながら柔らかな抽象を感じさせる雰囲気や、子らに流れる簡素な時間がしみじみと美しい。切れ字〈や〉も控えめでありつつ印象深く、秋野の鼓のようにわたしの胸に響いた。さらに掲句は、この世のさざめきのうらがわに空無、すなわち風の栖(すみか)がひろがっていることをけっして忘却しない。ちなみに初見の折は、
ここはアヴィニョンの橋にあらねど♩♩♩曇り日のした百合もて通る 永井陽子
を秒速で思い出した。音楽を自分の流儀でたのしんでいるところや、うっすらとした新古今の香りが互いに似通っているせいだろう。
(小津夜景)
【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記」