ハイクノミカタ

さよならと梅雨の車窓に指で書く 長谷川素逝【季語=梅雨(夏)】


さよならと梅雨の車窓に指で書く

長谷川素逝
(『三十三才』『定本素逝集』)

 梅雨の頃の電車の車窓は曇りがちで文字を描くことができる。ボックス席の窓には様々な落書きがある。ひと昔前なら相合傘。最近は「好き」とか「LOVE」とか書かれている。地方へ走る特急電車の場合は、見送りに来てくれた人が窓辺に立って手を振ってくれる。電車が発車するまで、少々手持ち無沙汰になるため、窓に文字を書いて時間を繋ぐのだ。

一人暮らしを始めて間もない頃である。親族に不幸があり実家に帰った。数日間滞在した後、雨の日の昼間に高速バスに乗り込んだ。母がバスを見送ってくれている。冷房の効いたバスの窓は、流れ込んだ湿気により曇っていた。指で拭って手を振った。ふと、前座席の女性が窓に「連絡してね」と書いているのが見えた。外に立つ男性がOKの仕草をしている。遠距離恋愛なのだろう。バスが発車する時、とても悲しい気持ちになった。この二人はもう逢えないと予感した。女性が泣いていたからか、それとも最後に書いた言葉が「元気でね」だったからか。走り出したバスから振り返ると男性の姿は無く、母だけがまだ手を振っていた。

 車窓ではないのだが、高校の友人で、中学生時代に好きだった男の子の降りる駅の掲示板に毎日のように「シンジ君好き」と書く女の子がいた。シンジ君とは文化祭の役職が一緒だっただけで、親しかったわけではない。別の高校に通うシンジ君が掲示板を見るのかどうかも分からない。目にしたところで誰が書いたのかも分からないし、自分の事だとは思わないだろう。女の子は、いつか想いが届くようにとの願いを込めて書き続けた。もしかしたら、駅前で再会できるかもしれないという期待もあった。数か月後、女の子はクラスメイトの男子に猛アタックされ、交際することになる。梅雨のある日、気が付くと掲示板のある駅に降りていた。いつもの癖で降りてしまったのだ。掲示板に書いた言葉は「シンジ君さよなら」であった。掲示板を毎日確認している人からしたら、何があったのかと気になったに違いない。恋する乙女の秘かな想いは、消えやすきものである。

  さよならと梅雨の車窓に指で書く   長谷川素逝

 作者は、明治の終わりに生れ、39歳で亡くなってしまう。若くして才能を認められ主宰誌を持つ。戦争による入隊や除隊、教員の仕事、病気による転地療養など別れの場面がいくつかある。車窓に書いた〈さよなら〉は、再会の約束のある別れの言葉なのかどうか。相手が恋人と推測されているのは、恋する者の感傷を読者に与える句だからである。

 現在では、車窓に愛の言葉を書くことがあるが、掲句の時代には、恥じらいがあり難しい。〈さよなら〉が精一杯の言葉である。交通の便も連絡方法も限られていた時代だ。ひとたび電車に乗れば、次はいつ逢えるのかも分からない。

 ふと薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』(来生えつこ作詞、来生たかお作曲)の歌詞を思い出した。「さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束」。さよならと言った瞬間に再会は遠い約束になる。でも、必ず逢える、逢いたいという想いがある。「バイバイ」「またね」とは違ったニュアンスに捉えてしまうのは、現代人だからであろうか。

 掲句は、見送りに来た女性に対して電車が発車する前に挨拶程度に書いたものと理解していた。だが〈さよなら〉が重いのだ。この別れの言葉は遠い約束と理解すべきであろう。作者は昭和12年、30歳の頃に砲兵少尉として応召している。翌年には、病気のため内地送還となるが、戦争を詠んだ句集『砲車』は高い評価を得た。従軍の際に見送りに来た友人、あるいは生徒に対して書いたのかもしれない。生きて帰れる保証などないのだから。

 恋の句として捉えられるようになったのは、近年なのである。映画やドラマのワンシーンを彷彿とさせたのだ。俳句の解釈は時代によって変わる。いつの時代でもその解釈は読者にゆだねられている。掲句は、様々な物語を想像させる余地のある名句なのだ。だから少しだけ、物語を妄想してみたい。

 梅雨の日に男は旅立ってゆく。見送りに来た恋人には「手紙を書く。必ず迎えに来る」と約束した。電車が発車した後、約束を守る事が難しいことに気付く。もう逢えない悲しい予感、守れない約束をした不甲斐なさ、そんな渦巻く未練と決別するために、窓に書いたのだ。言えなかった言葉は〈さよなら〉。お互いの新たなる旅立ちのために。いつか出逢える未来への期待を込めて、今は〈さよなら〉。

篠崎央子


【告知】
「愛の月曜日」が句会に?! 5月から篠崎央子さんの句会が荻窪の俳壇バー「鱗kokera」ではじまりました! 火曜日開催なので「愛の火曜日」💕 参加申込は絶賛受付中!


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

>>〔97〕夏帯にほのかな浮気心かな    吉屋信子
>>〔96〕虎の尾を一本持つて恋人来    小林貴子
>>〔95〕マグダラのマリア恋しや芥子の花 有馬朗人
>>〔94〕五十なほ待つ心あり髪洗ふ    大石悦子
>>〔93〕青い薔薇わたくし恋のペシミスト 高澤晶子
>>〔92〕恋終りアスパラガスの青すぎる 神保千恵子
>>〔91〕春の雁うすうす果てし旅の恋   小林康治
>>〔90〕恋の神えやみの神や鎮花祭    松瀬青々
>>〔89〕妻が言へり杏咲き満ち恋したしと 草間時彦
>>〔88〕四月馬鹿ならず子に恋告げらるる 山田弘子
>>〔87〕深追いの恋はすまじき沈丁花  芳村うつぎ
>>〔86〕恋人奪いの旅だ 菜の花 菜の花 海 坪内稔典
>>〔85〕いぬふぐり昔の恋を問はれけり  谷口摩耶
>>〔84〕バレンタインデー心に鍵の穴ひとつ 上田日差子
>>〔83〕逢曳や冬鶯に啼かれもし      安住敦
>>〔82〕かいつぶり離ればなれはいい関係  山﨑十生
>>〔81〕消すまじき育つるまじき火は埋む  京極杞陽
>>〔80〕兎の目よりもムンクの嫉妬の目   森田智子
>>〔79〕馴染むとは好きになること味噌雑煮 西村和子
>>〔78〕息触れて初夢ふたつ響きあふ    正木ゆう子
>>〔77〕寝化粧の鏡にポインセチア燃ゆ   小路智壽子
>>〔76〕服脱ぎてサンタクロースになるところ 堀切克洋
>>〔75〕山茶花のくれなゐひとに訪はれずに 橋本多佳子
>>〔74〕恋の句の一つとてなき葛湯かな 岩田由美
>>〔73〕待ち人の来ず赤い羽根吹かれをり 涼野海音
>>〔72〕男色や鏡の中は鱶の海       男波弘志
>>〔71〕愛かなしつめたき目玉舐めたれば   榮猿丸
>>〔70〕「ぺットでいいの」林檎が好きで泣き虫で 楠本憲吉
>>〔69〕しんじつを籠めてくれなゐ真弓の実 後藤比奈夫
>>〔68〕背のファスナ一気に割るやちちろ鳴く 村山砂田男
>>〔67〕木犀や同棲二年目の畳       髙柳克弘
>>〔66〕手に負へぬ萩の乱れとなりしかな   安住敦
>>〔65〕九十の恋かや白き曼珠沙華    文挾夫佐恵
>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て    澁谷道
>>〔63〕目のなかに芒原あり森賀まり    田中裕明
>>〔62〕葛の花むかしの恋は山河越え    鷹羽狩行
>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉  長谷川かな女
>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数    辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな   筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり    藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな      鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花   中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして     鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇      能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏   中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方  神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書     藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな    星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵

>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
>>〔9〕誰かまた銀河に溺るる一悲鳴   河原枇杷男
>>〔8〕杜鵑草遠流は恋の咎として     谷中隆子
>>〔7〕求婚の返事来る日をヨット馳す   池田幸利
>>〔6〕愛情のレモンをしぼる砂糖水     瀧春一
>>〔5〕新婚のすべて未知数メロン切る   品川鈴子
>>〔4〕男欲し昼の蛍の掌に匂ふ      小坂順子
>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す  能村登四郎
>>〔2〕凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男
>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 初場所や昔しこ名に寒玉子 百合山羽公【季語=初場所(冬)】
  2. 寝化粧の鏡にポインセチア燃ゆ 小路智壽子【季語=ポインセチア(冬…
  3. いつまでも狐の檻に襟を立て 小泉洋一【季語=狐(冬)】
  4. 月光に夜離れはじまる式部の実 保坂敏子【季語=式部の実(秋)】
  5. 天高し風のかたちに牛の尿 鈴木牛後【季語=天高し(秋)】
  6. 天体のみなしづかなる草いきれ 生駒大祐【季語=草いきれ(夏)】
  7. 漕いで漕いで郵便配達夫は蝶に 関根誠子【季語=蝶(春)】
  8. 幻影の春泥に投げ出されし靴 星野立子【季語=春泥(春)】

おすすめ記事

  1. 【書評】中原道夫 第13句集『彷徨』(ふらんす堂、2019年)
  2. 三月の又うつくしきカレンダー 下田実花【季語=三月(春)】
  3. 【結社推薦句】コンゲツノハイク【2023年8月分】
  4. 年玉受く何も握れぬ手でありしが 髙柳克弘【季語=年玉(新年)】
  5. 【秋の季語】後の月
  6. 【夏の季語】蛍/初蛍 蛍火 蛍売
  7. 秋めくやあゝした雲の出かゝれば      池内たけし【季語=秋めく(秋)】
  8. 家濡れて重たくなりぬ花辛夷 森賀まり【季語=花辛夷(春)】 
  9. 【短期連載】茶道と俳句 井上泰至【第5回】
  10. 【夏の季語】涼し

Pickup記事

  1. 「パリ子育て俳句さんぽ」【9月18日配信分】
  2. 神保町に銀漢亭があったころ【第7回】大塚凱
  3. 戸隠の山より風邪の神の来る 今井杏太郎【季語=風邪(冬)】
  4. 境内のぬかるみ神の発ちしあと 八染藍子【季語=神の旅(冬)】
  5. 遠足や眠る先生はじめて見る 斉藤志歩【季語=遠足(春)】
  6. 菊食うて夜といふなめらかな川 飯田晴【季語=菊(秋)】
  7. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【番外ー5】 北九州市・八幡と山口誓子
  8. 帰農記にうかと木の芽の黄を忘ず 細谷源二【季語=木の芽(春)】
  9. 遊女屋のあな高座敷星まつり 中村汀女【季語=星まつり(秋)】
  10. 秋鯖や上司罵るために酔ふ 草間時彦【季語=秋鯖(秋)】
PAGE TOP