ハイクノミカタ

九十の恋かや白き曼珠沙華 文挾夫佐恵【季語=曼珠沙華(秋)】

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九十の恋かや白き曼珠沙華

文挾夫佐恵
(『青愛鷹』)


 若い頃は、死ぬまで恋をしていたいと思っていた。だから、老いらくの恋にも憧れた。一人の男性に拘らず、沢山の人と出逢い恋をしたいと願っていた。ところが、夫と恋仲になってからは、他の男性に興味を失ってしまった。世間一般ではそれが当たり前のことなのだが、思いの外、一途な自分に今も驚いている。

 『伊勢物語』六十三段「つくも髪」では、三人の子持ち女が情愛の深い男との恋を夢見る。三男が母親の気持ちを汲み取り、好色の美男子である在原業平との恋を斡旋する。業平は、母親の想いを叶えようとする三男の言動に心を動かされ、女に逢いにゆく。その後音沙汰無し。女は恋しさのあまり男の家に行って覗き見をした。すると業平は〈もゝとせにひとゝせたらぬつくもかみ我をこふらし面影に見ゆ〉と口ずさみ、出かける素振りをみせた。自分の家を訪れてくれると思った女は、大慌てで家に戻り男を待つ。男は、女が覗き見していたことも待っていることも知りつつ訪れるのだが、女が密かに口ずさむ歌に心惹かれ再度共寝をする。

この話のなかで業平の詠んだ歌は、技巧的である。「百歳(ももとせ)に一年(ひととせ)足りない九十九歳(つくも)の白髪女(百の字から一本引くと白の字になる)が私を恋うているらしい。そんな面影を見た。だから逢いに行こう」という内容だ。女が九十九歳であるはずはないので、それぐらい歳をとったような白髪の老婆ということであろう。『伊勢物語』の影響を受ける『源氏物語』では、若き光の君と60歳近い好色の高級女官である源典侍(げんのないしのすけ)との恋のやり取りが微笑ましく描かれている。

 老いらくの恋というと歌人の川田順を想起してしまう。住友総本社常務理事であり歌人としての地位も築いていたが、1944年、64歳の時に出逢った歌人の弟子鈴鹿俊子(当時35歳)と恋仲となる。川田順は、妻を亡くして独身であったが、俊子には夫と3人の子供がいた。しかも夫の中川与之助(京都帝国大学教授)は、川田順の知人であった。俊子と与之介の結婚生活は、幸せなものではなかったと言われている。結婚生活に苦悩する俊子にとって、川田順は短歌の師匠であると同時に孤独を救ってくれる頼もしい存在であったのだろう。川田順もまた健気な俊子を守りたくなったのかもしれない。やがて二人の関係が夫の与之介の知るところとなり俊子は離婚する。川田順は、知人の妻と不倫関係になってしまった自責の念から自殺未遂事件を起こす。その時の遺書の詩の一節〈墓場に近き老いらくの 恋は怖るる何ものもなし〉が「老いらくの恋は怖れず」という見出しで朝日新聞に報道され、「老いらくの恋」が流行語になった。結果的には、事件の翌年1949年3月に二人は結婚する。29歳差の結婚、60歳を過ぎてからの恋は、当時としては、スキャンダルである以上に晩年を生きる人々に大いなる夢を与えた。この騒動を題材に、志賀直哉は戯曲『秋風』(1949年)を、辻井喬は小説『虹の岬』(1994年)を発表した。

 川田順は実業家であり、歌人・和歌研究者としても数々の業績を残すが、辻井喬の小説『虹の岬』にて再ブームとなり、現在では「老いらくの恋」の人としてのイメージが強い。

  九十の恋かや白き曼珠沙華   文挾夫佐恵

 白い曼珠沙華は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属でシロバナマンジュシャゲが正式名称。赤い彼岸花と黄色い彼岸花のショウキズイセンを交配してできたものといわれている。九州に自生していたのが珍しがられ関東に移植されたらしい。現在では、赤い曼珠沙華の隙間に植えられていることが多い。

 恋を謳歌するような真っ赤な曼珠沙華の隅に色物扱いのように咲くシロバナマンジュシャゲ。「白髪の女性が恋をしたらいけないの」という主張を訴えているかのよう。

 当該句の作者は、99歳にして蛇笏賞を受賞し100歳で亡くなるまで斬新な句を詠み続けた。作句当時は90歳の頃とのことだが本当に恋をしていたのかどうかは分からない。「恋かや」と表現しているので、白き曼珠沙華を見て発想した句と捉えるべきである。その背景には『伊勢物語』の「つくも髪」があるのだろう。

 でも90歳になっても恋をすることはあると思う。数年前、90歳近い夫の父を北海道から引き取り在宅介護をすることとなった。義父に伴い同居した義母からは「無口で気むずかしい人」と聞いていた。ところが実際に接した義父は、下ネタもダジャレも言う陽気な人であった。しかも夫に似た彫りの深きイケメン。デイサービスに行く時はダンディな服を着て目深に被った帽子より覗く白髪が美しい。認知症になり性格が変わったということになっているのだが、デイサービスでもその後に入所した老人介護施設でも女性にモテモテだった。義父は妻である義母が大好きな人であったが、妻のいない施設に入ってからは、それに代わる人を求めたのだろうか。いつしか、いつも同じ入所者女性が甲斐甲斐しく義父の世話を焼き、親しく語り合っていた。介護士の話によれば、配偶者と離れて暮らす施設では、入所者の男女が疑似恋愛または疑似夫婦になることがあるらしい。

 義父の死後、身体を病んだ義母もまた老人介護施設で暮らすこととなった。義父以外の男性と恋をしたことのない義母は、入所者男性から話しかけられるのも嫌がっていた。ところが最近、気の合う入所者男性が現れたらしく、検査入院で施設を一時退所する際に別れを惜しんでいた。病院のベッドで「絶対戻ってくるからと約束したの。早く元気になって施設に戻らないとね」と言っていた。義母の快復は早かった。恋の力は偉大だ。相手の男性がどのような顔なのか性格なのかは、コロナの影響で入所者フロアに入れないので分からない。きっと、義父似の人なのではないかと勝手に想像している。

 恋愛経験は義父のみだった義母。だけれどもお洒落で、コロナ禍になる前は毎月髪を染めていた。現在は、感染防止のため施設の理容には制限がある。髪染めの催促が何度もあったが、どうしようもなかった。そんななかで、真っ白な髪の母に声を掛けて、食堂で一緒に食事をし、レクリエーションを楽しんでくれた入所者男性。お目に掛かれるかどうか分からないけれども、義母を元気にさせてくれたことのお礼を述べたい。

篠崎央子


句集『白駒』は2012年、98歳での刊行でした ↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て    澁谷道
>>〔63〕目のなかに芒原あり森賀まり    田中裕明
>>〔62〕葛の花むかしの恋は山河越え    鷹羽狩行
>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉  長谷川かな女
>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数    辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな   筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり    藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな      鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花   中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして     鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇      能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏   中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方  神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書     藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな    星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵

>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
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>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


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