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ひめはじめ昔男に腰の物 加藤郁乎【季語=ひめ始(新年)】

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ひめはじめ昔男に腰の物

加藤郁乎
(『江戸桜』)


〈ひめはじめ〉とは、1月2日の行事。新年になって初めて男女が愛し合うことと認識されている。歳時記の表記は「ひめ始」。「ひめ始」には諸説あり、正月に軟らかく炊いた姫飯を食べ始める日とも、「飛馬始め」で馬の乗り初めの日とも、「姫糊始め」の意で女が洗濯や洗い張りを始める日ともいわれている。俳句では、男女の新年の交わりとして詠まれるのが一般的である。

 男女の最初の交わりの日が元旦ではなく、なぜ2日なのだろう。そういえば初夢も2日である。古代人の1日の始まりは夜であったという説がある。夜とは、日没から夜明けまでの時間となる。現代で考えると1月1日夜とは、1日の日没から2日の夜明けまでとなる。それでも2日になる理由にはならない。恐らく1月1日の夜は公的な宴会や儀式があったのではないか。公的な行事を重視した日本人は、1日の夜を公的儀礼に費やし、2日の夜から個人的な初夢やひめ始が行われたと考えるべきであろう。初漁や初売も2日なので、個人の営みの始めは2日なのであろう。

 遊郭のひめ始も1月2日の夜。男は本命の遊女を訪れたのだろう。側室を沢山抱えている大奥もまた初のお渡りということで、将軍様が正妻を訪れるのか寵愛の側室を訪れるのかで奥女中達が浮き足立ったことと思われる。

 江戸の川柳では、ひめ始の句として〈女房と乗り合いにする宝船〉〈宝船しわになるほど女房こぎ〉と詠まれている。初夢もまた、ひめ始と同じ1月2日の夜であり、吉夢を見るために宝船の絵を枕の下に敷いた。揚句の川柳は、宝船に乗ることと女房の上に乗ることを掛けて詠んでいる。

 江戸時代の浄瑠璃作家の近松門左衛門は、「湯殿始めに身を清め、新枕せし姫始め」と記している。実はひめ始は、風呂に入り身を清めて、神聖な気持ちで男女が向き合う重要な儀式だったのでは。それは、『古事記』のイザナキとイザナミが美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)をして国生みをするような、神話の時代の初めての男女の行為に遡る儀式だったのかもしれない。〈神の代は星近からむひめ始 秋元不死男〉という句もある。

 庶民的なところでは、落語の「姫初め」も面白い。袋井の宿屋の正月2日、女房が風邪を引いたかもしれないと卵酒を飲んで早々に寝所に引き籠もる。いやいやこれも演出。夫婦ともひめ始を期待していたのである。亭主が宿屋の片付けをしていると一人旅のふくよかな女が「泊めて下さい」とやって来る。最初は女の宿泊を拒む亭主だったが、晩酌に付き合って貰ううちに良い雰囲気に。女房も風邪を引いていることだし、ちょっと手を出してしまおうかなどと思い、暖簾の先の四つ目の部屋に泊めることに。夜這いする気満々でいると2階で眠っていた男客が「隣の部屋の睦言がうるさくて悶々としてしまったから、手数料1両出すので女を買いたい」という。そこで亭主は手数料欲しさに、先ほどのふくよかな女客の泊まる暖簾の先の四つ目の部屋に行くよう告げる。後ほど男客がやってきて「実に良い女であった」という。男客の語る女の性癖が、あれ?女房と似ているかも。どの部屋に行ったかを問い詰めるとまあ、部屋を間違えて亭主の女房の部屋に行っていたのだ。女房もまた待ちわびた亭主と間違えて濃厚なサービスをしてしまったらしい。

 谷崎潤一郎の『鍵』でも1月4日の妻の日記として「一昨夜は年の始めの行事をした。」とあり、2日の夜の夫との行為の物足りなさを記している。これが、妻の日記を盗み読む初老の夫を愛欲の果てに悲劇に至らしめることとなる。

 十年以上も前のことであるが「ひめ始」という季語に挑戦したことがある。しかも「ひめ始」というタイトルで角川俳句賞に挑戦し予選を通過してしまった。予選通過の作者名とタイトルは角川『俳句』に掲載されることとなる。当然ながら句友からは、「どんな50句を出したんだ。ひめ始め四十八手と新技2句を足したのか」と話題になった。日本の美を追求した50句だったとは言えない。11月頃の飲み会であったが、古希の男性が「実は今年のひめ始がまだ済んでいない」との発言で大笑いとなった。

  ひめはじめ昔男に腰の物   加藤郁乎

 腰の物とは、武士の提げていた刀のことである。戦乱の世を終えた江戸時代、遊郭に通う武士は、鞘も鍔(つば)も装飾的な派手なものに替えたという。武士のお洒落な小物づかいとでもいうべきであろうか。刀を提げることは、江戸時代の武士の特権であり、武士の矜恃でもあった。 『万葉集』では、「剣太刀(つるぎたち)」は「身に添ふ妹(妻)」に掛かる枕詞である。男の腰の物は、刀という男性の権力の象徴であり、自分に寄り添う妻でもあった。明治期の廃刀令とともに男性は刀を提げることも無くなったが、本命の女は、自慢の刀で征服したいものである。刀を失った日本男児がどこかで覇気を無くしてしまったようにも思わせる句である。日本男児の皆様、自慢の刀を振るって良いひめ始を。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


【篠崎央子のバックナンバー】

>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵
>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
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