ハイクノミカタ

あひみての後を逆さのかいつぶり 柿本多映【季語=鳰(冬)】

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あひみての後を逆さのかいつぶり

柿本多映
(『蝶日』)

 小倉百人一首の〈逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり 権中納言敦忠〉は有名な歌。現代でも共感する人は多いのでは。

 平安時代は通い婚である。恋の始まりは、男性が相手の身分や美女であるという噂を聞いて和歌を送る。時には、行事などの際に垣間見をして一目惚れをしたり、歌会などの歌を見て興味を持ったりすることも。男性から送られてきた和歌に対し、女性は最初は断りの歌を返信する。平安貴族の男女の相聞歌のやり取りには、恋の道筋がある。暗黙の恋愛マニュアルに従って和歌を通した心の交流が進む。そして、お互いの気持ちが盛り上がったところで、女性から来訪の許可を示唆するような歌が送られてくる。

 最初の来訪は御簾越しの対面ではあるが、相手の話し方や、御簾越しに見える所作、着物に焚きしめられた香の匂いなどでセンスを確かめる。時には、琴を奏でたり、笛を吹いたり、季節の花を持参したりして、自分の魅力をアピールする。そんなとても面倒な駆け引きの末に床を共にするに至る。

 和歌における〈逢ふ〉とは、男女の契りを意味する。平安貴族の男女は、対面することが難しく〈逢ふ〉ことは、すなわち肉体関係を持つことである。〈語り合ふ〉もまた床の上での男女の睦言を指し、物語上でも男女関係が成立したことを表している。

 一夜を共にした翌朝、男性は家に帰って出仕する前に女性に歌を送らなければならない。昨夜の逢瀬が素晴らしかったことや、今宵も逢いたいなどという内容をしたためて。これを「後朝(きぬぎぬ)の歌」という。後朝の歌は早ければ早いほど、情熱が伝わるとされていた。女性もまた、その歌に対しすぐに返歌を送るのが礼儀とされている。メールの返信を書くのに、もの凄く悩んでしまう私には難しいことだ。

 〈逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり 権中納言敦忠〉という歌は、初めて一夜を過ごした女性に送った後朝の歌である。逢いたいと想い続けてやっと一夜を過ごすことができたのに、肌を合わせてしまったら、ますます想いが募ってしまった。契りを結ぶ前の恋の想いは、何も考えていなかったに等しい、という内容である。

 確かに現代でも、片想いから色んなアプローチをしてデートに漕ぎ着けて、やっと男女の契りを結ぶ。だが、男女の契りはゴールのようでもあり、新たなる展開への始まりでもある。お互いに肌と肌を合わせれば、より恋しさが増してしまう。昼も夜も相手と触れ合った感触が身体から離れない。こんなにも狂おしい気持ちになるぐらいなら片想いのままでいた方がずっと楽であったと思わずにはいられない。

 肉体関係から始まる恋もまた、昔より存在していた。『古事記』の三輪山伝説では、女性は夜な夜な現れる美男子を大物主神とも知らず関係を持ち恋仲となる。『源氏物語』における朧月夜との関係の始まりも光君のレイプに等しい。原秀則の漫画『部屋においでよ』もまた、酔った勢いで関係を結んでしまったことから二人の恋物語が始まる。

 高校生の頃愛読していた恋愛雑誌に「肉体関係を持った後、彼氏がどこへも連れていってくれなくなった」という相談があった。肉体関係を持つ前は、海に行ったり、お洒落なレストランで食事をしたりしていたらしい。釣った魚に餌をやらない男性もいるであろう。そうかと思うと、とある男性は「肉体関係を持った後から、彼女が化粧をしなくなり、一日中ボサボサの髪でパジャマ姿で平気でおならをするようになった」との相談が。肉体関係を持つと何もかもが許された気持ちになり、自分の全てを見せられるようになることもあるだろう。ニンニクたっぷりの焼肉を食べる仲ということか。

あひみての後を逆さのかいつぶり   柿本多映

 権中納言敦忠の歌を踏まえた一句。カイツブリは、鴨などの水鳥と同様、夫婦で行動する。繁殖期には、激しい縄張り争いをする。傷だらけの闘争の末に夫婦となったカイツブリは、いつも一緒。肉食のカイツブリは、水に潜り魚類、昆虫、貝類などを食べる。人間が生活するために働くように、食べるための行動が優先である。時には、水底の岩藻に生息する虫を食べるために逆立ちになることも。水鳥の逆立ちは、いつもは水に隠している脚を大きく広げ、尻を空に向けて突き出し、なんとも恥ずかしい格好である。映画『犬神家の一族』のスケキヨの足のような衝撃である。

 考えてみたら、逆さのカイツブリの姿は、男女の夜の営みのあられもない姿に通じるものがあるかもしれない。女性は、一度関係を結んだらどんな恥ずかしい体位も受け入れてしまう。そんな恥ずかしい姿を見せているのだから、関係成立後は、大の字で眠っていても、風呂場で大股を広げてお腹を掻いていても許されるのではないだろうか。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

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>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
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