ハイクノミカタ

だんだんと暮色の味となるビール 松本てふこ【季語=ビール(夏)】


だんだんと暮色の味となるビール

松本てふこ
『汗の果実』

気がつくと五月も後半戦で、本格的に暑くなってきました。予報では東京は今日も30℃越え。この都市の湿気の強い暑さは得意ではないのだけれど、今ならまだ空気がからっとしていて、仕事帰りにビールをおいしくいただくには良い季節。

さて、掲句のビールは、おいしかったのでしょうか。たとえば今ぐらいだと、日没は7時近く。仕事あがりのビアホールとか、どこか屋外の席でビールを飲んでいると、だんだん日も落ちてきて、ビールの色も〈だんだんと暮色の色となる〉わけですが、ここでは「暮色の味」と一ひねりしてある。このことで、去来するその一日の仕事(とは限らないけれど)がさまざまに心にもたらす陰翳を、このビールの「暮色」が背負ってくれているように思います。

谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』は、かつての日本の電気のない世界の影と光にまつわる美意識を語るのだけれど、それとは違ってはいるものの、でも全然無縁というわけでもない、この湿度の文化圏の外では見出し得ないような、自然の光と影にまつわるビールの生みだした情趣を、掲句は表現しているような気がします。

橋本直


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


松本てふこさんの句集『汗の果実』はこちら】

橋本直さんの第一句集『符籙』はこちら】


【橋本直のバックナンバー】

>>〔135〕大揺れのもののおもてを蟻の道 千葉皓史
>>〔134〕銀河系のとある酒場のヒヤシンス 橋 閒石
>>〔133〕春の日やあの世この世と馬車を駆り 中村苑子
>>〔132〕灰神楽かと思ひきや杉花粉 天沢退二郎
>>〔131〕黄沙いまかの楼蘭を発つらむか 藤田湘子
>>〔130〕実るなと掴む乳房や春嵐    渡邉美愛
>>〔129〕誰もみなコーヒーが好き花曇  星野立子
>>〔128〕変身のさなかの蝶の目のかわき 宮崎大地
>>〔127〕恋さめた猫よ物書くまで墨すり溜めし 河東碧梧桐
>>〔126〕くれなゐの花には季なし枕もと  石川淳
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>>〔124〕ひかり野へきみなら蝶に乗れるだろう 折笠美秋
>>〔123〕自愛の卓ポテトチップは冬のうろこ 鈴木明
>>〔122〕ものゝふの掟はしらず蜆汁   秦夕美
>>〔121〕灯を消せば部屋無辺なり夜の雪 小川軽舟
>>〔120〕冬深し柱の中の波の音     長谷川櫂
>>〔119〕よもに打薺もしどろもどろ哉    芭蕉
>>〔118〕二十世紀なり列国に御慶申す也   尾崎紅葉
>>〔117〕ぽつぺんを吹くたび変はる海の色  藺草慶子
>>〔116〕集いて別れのヨオーッと一本締め 雪か 池田澄子
>>〔115〕つひに吾れも枯野のとほき樹となるか 野見山朱鳥
>>〔114〕完璧なメドベージェワが洟を擤む   秋尾敏
>>〔113〕本の山くづれて遠き海に鮫      小澤實
>>〔112〕とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな 松本たかし
>>〔111〕冬枯や熊祭る子の蝦夷錦      正岡子規
>>〔110〕夢に夢見て蒲団の外に出す腕よ   桑原三郎
>>〔109〕手を入れてみたき帚木紅葉かな   大石悦子
>>〔108〕秋の餅しろたへの肌ならべけり   室生犀星
>>〔107〕どれも椋鳥ごきげんよう文化祭   小川楓子
>>〔106〕古池や芭蕉飛こむ水の音        仙厓
>>〔105〕秋海棠西瓜の色に咲にけり     松尾芭蕉
>>〔104〕幾千代も散るは美し明日は三越   攝津幸彦
>>〔103〕海に出て綿菓子買えるところなし   大高翔
>>〔102〕駅蕎麦の旨くなりゆく秋の風     大牧広
>>〔101〕茄子もぐ手また夕闇に現れし    吉岡禅寺洞
>>〔100〕汽車逃げてゆくごとし野分追ふごとし 目迫秩父

>>〔99〕天高し深海の底は永久に闇     中野三允
>>〔98〕なんぼでも御代りしよし敗戦日   堀本裕樹
>>〔97〕おやすみ
>>〔96〕もの書けば余白の生まれ秋隣   藤井あかり
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>>〔49〕彎曲し火傷し爆心地のマラソン    金子兜太
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>>〔46〕わが畑もおそろかならず麦は穂に  篠田悌二郎
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>>〔44〕もろ手入れ西瓜提灯ともしけり   大橋櫻坡子
>>〔43〕美しき緑走れり夏料理        星野立子
>>〔42〕遊女屋のあな高座敷星まつり     中村汀女
>>〔41〕のこるたなごころ白桃一つ置く   小川双々子
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>>〔38〕草田男やよもだ志向もところてん    村上護
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>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規


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