ハイクノミカタ

ばばばかと書かれし壁の干菜かな   高濱虚子【季語=干菜(冬)】


ばばばかと書かれし壁の干菜かな

高濱虚子
『五百句』


虚子にこういう句があって、ちょっと笑ってしまう。出だしの「ばばば」も可笑しいが、「か」を軸とする「あ」母音の生み出すリズムが軽やかで、向日性があるように思う。しかし、具体的にはどういう景色なのかと想像すると、もしかすると解釈にゆらぎがでるかもしれない。季語は「干菜」で冬(初冬)。「ばばばか」はひらがなだから子供のいたずら書きと想像される。「書かれし壁」だから壁に「ばばばか」と書いてあるわけだが、「壁の干菜」とはどういうことだろう?「干菜」はふつう、軒先に干されてあるものだ。ひとまず想像したのは、そういう軒の後ろの土壁に、釘か何かで「ばばばか」と掘ってあるいたずら書きだったが、これはいたずらとしてはいささかタチが悪いし、句の韻律のもつ向日性とのバランスも悪い。では、干菜を壁に貼り付けてあるというのだろうか。そんなことができるのか、と思うが、乾燥した葉っぱなのだから、濡らせば壁に張り付きそうな気はする。昔はそういうことをする子供の遊びがよくあったのかも知れない。ここでは、ばあちゃんに叱られた子供がせめてもの腹いせにちょっといたずらをした、という景が浮かぶ。そのあたりになると、想像は出来るが、断定するには俳句以外のところの知見が足りない。

掲句は大正14年1月の作。『五百句』は昭和12年初版(手元の句集は昭和22年の再版)。実は、これより早く刊行された春秋社『虚子句集』(昭和3年)改造社文庫『句集虚子』(昭和5年)では、共に「婆馬鹿と書かれし壁の干菜かな」で載る。すなわち、『五百句』掲載にあたって(あるいはそれ以前に)、漢字による表意より仮名による調べを採った推敲がなされている。更に言えば、「婆馬鹿」と干菜でこれを書くとすればいたずらとしてはなかなか闇が深く、こどもの書ける字でもなさそうであり、それが壁に墨か何かで書いてあったなら農村の暗部でも見せられているような気がしてくる。見たままをさらっと句にしているようであるが、『五百句』にあって、そのような読みが成立するように、うまく調律してある。

橋本直


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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


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