ハイクノミカタ

海松かゝるつなみのあとの木立かな  正岡子規【季語=海松(春)】


海松かゝるつなみのあとの木立かな

正岡子規
(『新聞日本』明治29年6月29日)


先週がちょうど東日本大震災から10年目ということで、あえて直接それを詠んだ句ではなく、阪神淡路大震災の永田耕衣の句のことを書いたのであるが、当日以後の震災を巡る様々な話題について、例えばこのサイトの震災特集での管理人の長大な巻頭言でも取り上げられているように、当事者性の問題がなお問われているようであるので、今回は明治三陸大津波のことを詠んだ子規のことを取り上げてみようと思う。

明治29年6月15日午後8時過ぎ、三陸海岸を中心に東北地方一帯を大津波が襲った。その規模は、東日本大震災が起きる前まで最大の規模であり、多くの犠牲者を出した。ちょうど旧暦の端午の節句に当たっており、折から日清戦争戦勝記念の花火大会を催していた最中に津波に襲われた地域もあった。当然メディアは取材に動く。『日本』も被災地に特派員を派遣した。子規の句友であり同僚であるところの五百木瓢亭と子規に「写生」をレクチャーした画家中村不折らである。不折は震災の様子をスケッチし瓢亭は記事を書いた。では子規は、といえば、既に結核による腰痛を発症して元気に歩き回れる状態ではなかった。そんな中、6月29日発行の『新聞日本』に「海嘯」と題された句文が載る。無記名だが、子規の手控えと掲載された句が一致しているので、これを書いたのは子規とわかっている。つまり子規は、津波被災想望俳句を詠んでいるのである。子規は「写生」の卸元とされ、リアリズムの源流の一人とされているけれども、それはけして原理主義的ではなかったことがこういうところからわかる。以下、全文引用する。

海嘯

 六月十五日恰も陰暦の端午に際して東北海岸幾萬の生靈は一夜に海嘯の爲めに害われおはんぬ。あはれ是れ程の損害天災にも戰爭にも前代未聞の事どもなれば聞くこと毎に粟粒を生ぜずといふことなし。
    ごぼ〳〵と海鳴る音や五月闇
    菖蒲葺いて津波來べしと思ひきや
 黑山の如き大波は毒舌を出だして沿岸のもの家とも言はず木とも言はず人とも言はず忽ちに舐め去りぬ。噫慘又慘。叫喚の聲耳に聞えて全身覺えず戦慄す。
    時鳥救へ〳〵と聲急なり
    蚊柱や漁村盡くつぶれたり
    海松かゝるつなみのあとの木立かな
    晝顔にからむ藻屑や波の音
    短夜やほろ〳〵燃ゆる馬の骨
 幸にして生き殘りたるは親を失ひ子を失ひ夫を失ひ妻を失ひ家を失ひ食を失ひ命一つを浮世にもてあましたるもなか〳〵にあはれならぬかは。
    皐月寒し生き殘りたるも淚にて
    生き殘る骨身に夏の粥寒し
 天下の人誰か之を悲まざらん、死したるは棺なく生きたるは食なきに。
    五月雨は人の淚と思ふべし
    此頃は螢を見てもあはれなり
 良民何の罪かある。憑夷すべからく罰すべし。
    若葉して海神怒る何事ぞ
 長く東海の波を封じて再び此災害なからしむべきなり。
    あら海をおさえて立ちぬ雲の峰
 かしこきあたりには此事を聞しめしてより直ちに金圓を下し賜はり侍従をして實況を見せしめらる。
    夏草や甘露とかゝる御涙

                           〔日本 明治29・6・29〕

(「子規全集 第十二巻随筆二」(講談社 1975年)より引用した。なお、掲載時は無記名。変換ソフトの都合上漢字を一部常用に改めている。)

子規は瓢亭や不折の記事を元に想像でこの句文を書いた。「幸にして生き殘りたるは親を失ひ子を失ひ夫を失ひ妻を失ひ家を失ひ食を失ひ命一つを浮世にもてあましたるもなか〳〵にあはれならぬかは。」「天下の人誰か之を悲まざらん、死したるは棺なく生きたるは食なきに。」という文言や詠まれた句の中には、当事者に寄り添おうとする気分はあっても、非当事者故の想像で記事を書いていることへの後ろめたさや葛藤は微塵もないように見える。むしろ、記者として書かねばならないという使命感さえでているのではないか。この子規の記事を見るとき、むしろ今日の私たちとの感じ方のありようの差異がいつ・どこから立ち上がってきたのかが気になってくる。

ところで、長谷川櫂は『現代短歌』2021年5月号の震災10年特集で「当事者性とは何か」という一文を寄稿しており、その末尾あたりで「当事者性の問題はこうした醜く貧しい議論を生み出す。そこに欠けているのも地球的想像力である。そして当事者性の原点には明治以降に広まった矮小化されたリアリズム、写生がある。」と書いている。長谷川のこの文章のもつ問題点はまたどこかで書く機会もあるだろうが、ひとまずそれはおき、この長谷川の文は、当時者性の問題の「原点」を前景化してある以上、読者はまず子規の「写生」を連想することになるのではないだろうか。しかし、ここで書いたように、それは子規の「写生」とはまったく無関係とは言わないまでも、少なくとも当人の思想行動とは無関係に事後的に変容し、その起源は既に忘れ去られているものではないのか。

なお、「海松かゝるつなみのあとの木立かな」を取り上げたのは、記事十四句中「海松」のみが春の季語であることによるが、近世の歳時記では海松を夏の季に入れてあり、子規の誤りということではない。

(参考文献)加藤定彦「飄亭、不折、子規と三陸大津波 : 「海嘯」十四句をめぐって」(『大衆文化』第6号2011年立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター)

付記 引用中の「〳〵」は縦書き二字の繰り返し記号が横書きで表示されている。いささか違和感があって読みづらいが、ご寛恕願いたい。

橋本直


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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


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