柊を幸多かれと飾りけり 夏目漱石【季語=クリスマス(冬)】

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柊を幸多かれと飾りけり 

夏目漱石
(明治33年12月26日正岡子規宛書簡)


夏目漱石は、明治33年熊本五高在職中に英国留学の官命を受け、同年10月末にロンドンに着く。掲句は、それからまもないクリスマスを詠んだ句ということになる。句だけからではそれとは解らないが、ロンドン滞在中最初期の漱石の海外詠であり、この「柊」は日本のそれではなくhollyということになる。漱石とロンドンといえば、「倫敦塔」その他の短編作品群の他に、帰朝後まとめられた「文学論」の、「倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。」という一節がよく知られているだろうが、さすがに到着早々の時期にはそこまでの不快感はなかっただろう。とはいえ、官費留学といっても低予算で送り出され、到着早々から下宿を転々とせざるを得ないなど、生活費と学費を抑えるためにあれこれ苦心することとなった漱石の心情をふまえてあえて深読みをすれば、この「幸多かれ」には、異国の地で前途に不安いっぱいであったろう漱石の素朴な願いが込められていてもおかしくはない。

以下、余談めく。漱石の「文学論」には、このような一節がある。「余の命令せられたる研究の題目は英語にして英文学にあらず。余は此点に就て其範囲及び細目を知るの必要ありしを以て時の専門学務局長上田萬年氏を文部省に訪ふて委細を質したり。上田氏の答へには、別段窮屈なる束縛を置くの必要を認めず、 只帰朝後高等学校もしくは大学にて教授すべき課目を専修せられたき希望なりとありたり。是に於いて命令せられたる題目に英語とあるは、多少自家の意見にて変更し得るの余地ある事を認め得たり。かくして余は同年九月西征の途に上り、十一月目的地に着せり。」

この時漱石は、「文学」とはなにか、というラディカルな問題意識をもっていた。一方、日本に「国語」を定着させた上田萬年はどうだったのだろう。返答はどうも歯切れが悪い。上田はこのころ東京帝国大学国文科の教授のはずだから、局長は兼務だったのだろうか。彼は漱石より一足早く大学を卒業し国費でドイツに留学、帰朝後早々に東京帝大国文科教授となっている。しかしこの二人、実は同じ1867年生まれである(だからもし子規が退学せず留年を続けていれば、同い年の教授の指導を受ける羽目になるかもしれないところだった)。つまりこの一節で語られているのは、片や既に留学を終え、出世コース驀進中の上田と、片やこれからそのコースに乗ろうかという漱石という二人の対面の場面なのだが、二人のその後の人生はとても対照的である。よく知られている通り、漱石は結局そのコースから降りた。近代個人主義を深く理解していた漱石にとって、結局多くあらまほしい「幸」とはなんだったのだろう、などと考えはじめると、この句の風景も少し違って見える。

橋本直


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


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