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あり余る有給休暇鳥の恋 広渡敬雄【季語=鳥の恋(春)】


あり余る有給休暇鳥の恋

広渡敬雄

年度末の3月は使い切れない有給休暇が期限切れを迎える時期だ。労働基準法では勤続年数が6.5年を越えていれば毎年20日が付与される。実際には消化しきれなかった前年からの繰り越しがあるので30日以上あるケースも珍しくない。しっかり消化するには休暇をとる覚悟を決めてきっちりとっていかなければならないのだ。

基本的には有休の消化ペースは自己管理。30日も有休があると夏休みをとっても毎月2日くらいとらないと消化できない。現状では年間5日とらないと注意を受けるが、5日以上残してはいけないという方向の義務設定にしてほしい。休暇取得の自己管理は日本人の国民性と相性が悪い。

「有給」か「有休」か。いずれも「有給休暇」の略なのだが、「有給」は「有給の研修」など別の場合にも使われるので誤解を避けるのであれば「有休」が望ましいようである。「育休」とも統一できる。「有給」でも間違いではない。

そんな年次有給休暇には「時効」があり、発生から2年間で消滅する。3月末は失われんとする休暇への思いが頭を駆け巡る時期なのである。

あり余る有給休暇鳥の恋

鳥の恋。本能のままの動きに違いないが、有給休暇を消化できない人間の身にしてみると羨ましい時間の過ごし方である。追い続け、追われ続ける時間が延々と続くような恋のあり方は、特に社会人にとっては昔のドラマの中の世界にしかない。同じ「恋」でも猫の恋なら感情面に重心があり、恋どころか熱愛とさえ思われる。〈恋猫の恋する猫で押し通す 永田耕衣〉は鳥の恋にはない味わいがある。一方鳥の恋からは淡々と求愛行動を繰り返す時間の経過が強く思われる。

これほどの有給休暇を持て余しながら鳥のように恋にたっぷり時間を割くことができない人間。特に日本人。とはいえたっぷり有給休暇がもらえるほどの勤続年数を重ねた大人になると恋への情熱の温度も下がってくる。そんな年齢であれば「猫の恋」が下五に来たら違和感がある。「鳥の恋」が動かない。

有給休暇をとったある日の出来事ととることもできるが、「あり余る」には必要以上にあるという意味が含まれる。また、「鳥」からも「鳥の恋」からもせかせかと動く様子が似つかわしく、有休で暇をもてあますというよりは有休をとろうと思えばとれるのにせっせと働いている自分を重ねる方が現役世代にはしっくりくる鑑賞となる。

有休をとるということについてもう少し真剣に取り組めばまだまだ消化できるような気がする。「健康のためなら死んでもいい」のような話になってしまった。

『間取図』(2016年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】
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>>〔92〕卒業歌ぴたりと止みて後は風 岩田由美
>>〔91〕鷹鳩と化して大いに恋をせよ 仙田洋子
>>〔90〕三椏の花三三が九三三が九 稲畑汀子
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