ハイクノミカタ

春の夜のエプロンをとるしぐさ哉 小沢昭一【季語=春の夜(春)】


春の夜のエプロンをとるしぐさ哉)

小沢昭一

異性のどんなしぐさが好きか。検索してみると男性からみた女性なら上目遣いや無邪気な笑顔、髪を結ぶなど。女性からみた男性ならネクタイをゆるめる、眼鏡を外すなど。それぞれ賛否あるだろうし他にももっとそういう仕草はあるはずである。もうそんなことを聞いてもらえる機会も減ったので自主的に言ってしまうと、個人的にはパソコンで見たこともないような技を駆使しているのにぐっときたりする。

それらは付き合うか付き合わないか、微妙な距離だからこその心躍りである。反対に恋愛対象とすら思っていないからこそ不意にそうした場面に遭遇するとハッとすることもあるだろう。一方そうした仕草をしたところで期待できる効果は相手に気にしてもらえるきっかけを作る程度のもの。良くも悪くも点の関わり合いにすぎない。その仕草だけを頑張っても心が通い合うことは期待出来ないが、流れを変えるきっかけくらいにはなるかもしれない。前後の脈絡、それまでの蓄積がものをいうのは間違いない。

 春の夜のエプロンをとるしぐさ哉  変哲

変哲は小沢昭一の俳号である。エプロンをとるのは実に日常的な動作で、やる方は意識すらしないようなこと。エプロンをとれば服を着た状態になるだけなのだが、春の夜という季語と共に味わうとまるで服を脱ぐところを見ているような心持ちになるのだ。歳時記では春の夜を「艶なる趣が満ちる」と解説する。

している方にとっては日常。見ている方にとっては艶っぽい一幕。成熟した関係である。この場面ではぐっと来るとかキュンとするといった言い回しはしっくりこない。瞬間的な心の動きというよりはこれまで食事を作ってくれてきた歳月を回想するような時間的奥行きのある情景として鑑賞したい。

小沢昭一は俳優・俳人・エッセイスト。2012年(平成24年)、83年の生涯に幕をひいた。掲句は1971年(昭和46年)作。昭和44年入船亭扇橋(九代目)を宗匠に永六輔、桂米朝(三代目)らと結成した「東京やなぎ句会」の第一回で変哲が出した句が〈スナックに煮凝のあるママの過去〉。昭和の夜の描写はしっとりしていて愛があり、嫌いになれない。〈汗疹の児ニコニコ汗疹ふやしけり〉〈焼芋や巨匠のロケの待ち時間〉〈悪妻といわれる女(ひと)のサングラス〉など昼の描写も皮肉が程良くて大人の味わいである。好みの女性について小沢は述べる。”私、元来、オペチャ、目細、胴長、短脚をもって美人としている”と。 掲句のエプロンはポケットに輪ゴムが入っていて、手を洗うたびにエプロンをタオル代わりにしてきたような生活感がきっとある。

『俳句で綴る 変哲半生記』(2012年刊)所収。

引用は「小沢昭一— 芸能人的こころ (文藝別冊)」より。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【こちらがその『俳句で綴る 変哲半生記』(2012年)

【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】

>>〔41〕赤い椿白い椿と落ちにけり   河東碧梧桐
>>〔40〕結婚は夢の続きやひな祭り    夏目雅子
>>〔39〕ライターを囲ふ手のひら水温む  斉藤志歩
>>〔38〕薔薇の芽や温めておくティーカップ 大西朋
>>〔37〕男衆の聲弾み雪囲ひ解く    入船亭扇辰
>>〔36〕春立つと拭ふ地球儀みづいろに  山口青邨
>>〔35〕あまり寒く笑へば妻もわらふなり 石川桂郎
>>〔34〕冬ざれや父の時計を巻き戻し   井越芳子
>>〔33〕皹といふいたさうな言葉かな   富安風生
>>〔32〕虚仮の世に虚仮のかほ寄せ初句会  飴山實
>>〔31〕初島へ大つごもりの水脈を引く   星野椿
>>〔30〕禁断の木の実もつるす聖樹かな モーレンカンプふゆこ
>>〔29〕時雨るるや新幹線の長きかほ  津川絵理子
>>〔28〕冬ざれや石それぞれの面構へ   若井新一
>>〔27〕影ひとつくださいといふ雪女  恩田侑布子
>>〔26〕受賞者の一人マスクを外さざる  鶴岡加苗
>>〔25〕冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ  川崎展宏
>>〔24〕伊太利の毛布と聞けば寝つかれず 星野高士
>>〔23〕菊人形たましひのなき匂かな   渡辺水巴
>>〔22〕つぶやきの身に還りくる夜寒かな 須賀一惠
>>〔21〕ヨコハマへリバプールから渡り鳥 上野犀行
>>〔20〕遅れ着く小さな駅や天の川    髙田正子
>>〔19〕秋淋し人の声音のサキソホン    杉本零
>>〔18〕颱風の去つて玄界灘の月   中村吉右衛門
>>〔17〕秋灯の街忘るまじ忘るらむ    髙柳克弘
>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空   若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり      林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人

>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 霜夜子は泣く父母よりはるかなものを呼び 加藤楸邨【季語=霜夜(冬…
  2. スバルしずかに梢を渡りつつありと、はろばろと美し古典力学 永田和…
  3. どこからが恋どこまでが冬の空 黛まどか【季語=冬の空(冬)】
  4. さうらしく見えてだんだん鴉の巣 大畑善昭【季語=鴉の巣(春)】
  5. 襖しめて空蟬を吹きくらすかな 飯島晴子【季語=空蟬(夏)】
  6. 颱風の去つて玄界灘の月 中村吉右衛門【季語=颱風・月(秋)】
  7. コスモスのゆれかはしゐて相うたず      鈴鹿野風呂【季語…
  8. 鹿や鶏の切紙下げる思案かな 飯島晴子

おすすめ記事

  1. 神保町に銀漢亭があったころ【第73回】芥ゆかり
  2. つれづれのわれに蟇這ふ小庭かな 杉田久女【季語=蟇(夏)】
  3. 春ショール靡きやすくて恋ごこち 檜紀代【季語=春ショール(春)】
  4. 【秋の季語】良夜
  5. 【連載】もしあの俳人が歌人だったら Session#5
  6. 神保町に銀漢亭があったころ【第87回】笹木くろえ
  7. 春一番競馬新聞空を行く 水原春郎【季語=春一番(春)】
  8. 「パリ子育て俳句さんぽ」【2月26日配信分】
  9. 春の夢魚からもらふ首飾り 井上たま子【季語=春の夢(春)】
  10. 琅玕や一月沼の横たはり 石田波郷【季語=一月(冬)】

Pickup記事

  1. ペスト黒死病コレラは虎列刺コロナは何と 宇多喜代子【季語=コレラ(夏)】
  2. わが恋人涼しチョークの粉がこぼれ 友岡子郷【季語=涼し(夏)】
  3. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第34回】鎌倉と星野立子
  4. ひら/\と猫が乳吞む厄日かな 秋元不死男【季語=厄日(秋)】
  5. 肩につく影こそばゆし浜日傘 仙田洋子【季語=浜日傘(夏)】
  6. カンバスの余白八月十五日 神野紗希【季語=終戦記念日(秋)】
  7. 日の遊び風の遊べる花の中 後藤比奈夫【季語=花(春)】
  8. 【クラファン目標達成記念!】神保町に銀漢亭があったころリターンズ【17】/三代川次郎(「春耕」「銀漢」「雲の峰」同人)
  9. さざなみのかがやけるとき鳥の恋 北川美美【季語=鳥の恋(春)】
  10. 多国籍香水六時六本木 佐川盟子【季語=香水(夏)】
PAGE TOP