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ライターを囲ふ手のひら水温む 斉藤志歩【季語=水温む(春)】


ライターを囲ふ手のひら水温む)

斉藤志歩

 もの作りは完成したと思ったところから始まる。それは形のないものにもあてはまる。とあるイベンターの方は、チケットの完売している公演でもチラシの折り込みは続けるのだという。チケットを売ることをゴールとしているのではなく、そのイベントを多くの人の心に刻みつけることに主眼を置いているのであろう。

 何をゴールとするか。もの作りの教科書として筆者が愛読している『プロデュースの基本』(著:木﨑賢治)の「歌詞とは、心という見えないものを可視化したもの」の一節を紹介したい。槇原敬之が友人たちと鎌倉に行き、海辺でタバコに火をつけようとしたらなかなか火が付かなかったが、友達が手をかざしてくれて火がついたという。そして「これを歌にしたいな」と言ったとのこと。

 どんな歌詞かというと「彼女との最後のドライブで鎌倉の海岸に来て、彼女が手をかざしてくれたおかげでタバコに火がついた。別れていくふたりでもまだ一緒にできることはあるんだね」。それを聞いて(筆者注:木﨑氏が)「いいじゃない」と答えると、「まだ先があるんです。だからといって、後戻りしても僕らは幸せになれないよね」と続けました。

 二人にもまだ一緒にできることがある、というだけで満足してしまいそうなものであるが、そこから一歩踏み込んで「だからといって…」と続けられるかどうかが個性的な表現の分かれ目だ。人の心を動かす歌詞を生み出す人は何をもって完成とするかが他の多くの人と違うのであろう。

   ライターを囲ふ手のひら水温む

 タバコを吸うためのライターをつける手助けをしている情景を浮かべた。タバコを吸おうとしているのも手のひらも作者のものと考えることもできるが、それでは春の季語が似つかわしくない。ライターの火を守るために差し出された手のひらに暖かさを感じ取ったのだ。「水温む」は必ずしも水に触れている必要はないだろう。差し出された手のひらに水が温んだことを思わせるぬくもりや水の匂いを感じ取ったのだ。寒さにこわばっていた体が暖かさにゆるんだゆえの「水温む」も感じられる。実体験とは距離があるものの作者が実感したであろう「水温む」という季語選びでこの句の世界は広がりを見せている。

 完成したらその先にまで思いを到らせる。俳句ならその結果まで描く必要はないが、「その先」が存在している心から発せられる表現には代えがたい魅力が備わっているに違いない。

 木﨑氏によると鎌倉の件は歌にはならなかったとのこと。その結末も詩的である。

『水と茶』(2022年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


斉藤志歩さんの句集『水と茶』(左右社、2022年)はこちら ↓】

【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】

>>〔38〕薔薇の芽や温めておくティーカップ 大西朋
>>〔37〕男衆の聲弾み雪囲ひ解く    入船亭扇辰
>>〔36〕春立つと拭ふ地球儀みづいろに  山口青邨
>>〔35〕あまり寒く笑へば妻もわらふなり 石川桂郎
>>〔34〕冬ざれや父の時計を巻き戻し   井越芳子
>>〔33〕皹といふいたさうな言葉かな   富安風生
>>〔32〕虚仮の世に虚仮のかほ寄せ初句会  飴山實
>>〔31〕初島へ大つごもりの水脈を引く   星野椿
>>〔30〕禁断の木の実もつるす聖樹かな モーレンカンプふゆこ
>>〔29〕時雨るるや新幹線の長きかほ  津川絵理子
>>〔28〕冬ざれや石それぞれの面構へ   若井新一
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>>〔26〕受賞者の一人マスクを外さざる  鶴岡加苗
>>〔25〕冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ  川崎展宏
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>>〔23〕菊人形たましひのなき匂かな   渡辺水巴
>>〔22〕つぶやきの身に還りくる夜寒かな 須賀一惠
>>〔21〕ヨコハマへリバプールから渡り鳥 上野犀行
>>〔20〕遅れ着く小さな駅や天の川    髙田正子
>>〔19〕秋淋し人の声音のサキソホン    杉本零
>>〔18〕颱風の去つて玄界灘の月   中村吉右衛門
>>〔17〕秋灯の街忘るまじ忘るらむ    髙柳克弘
>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空   若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり      林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人

>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


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