ハイクノミカタ

颱風の去つて玄界灘の月 中村吉右衛門【季語=颱風・月(秋)】


颱風の去つて玄界灘の月)

中村吉右衛門


 大村雅朗という編曲家の名前を知ったのは最近のことである。認識のスイッチが入るとこれまで通り過ぎていた情報が次々と入ってくる。ヒットメーカー、ずばぬけた才能の持ち主。個人的にも、初めて買ったレコードやお気に入りを集めたカセットテープの1曲目、カラオケでいつも一番に歌う曲など大切な曲はことごとく彼が手がけたものであった。名前より先に作品に出逢うというのは一つの幸せな形だと思う。

 彼は46歳の若さでこの世を去っている。没後25周年を迎える今年、その功績をたたえるメモリアルライブがゆかりの地である博多で開催されることを知った。出演に大澤誉志幸、南佳孝、槇原敬之、川崎鷹也、トークゲストに作詞家の松本隆と音楽プロデューサーの木﨑賢治を迎える第二夜には行かなければ悔いが残ると確信し博多行きを決めた。編曲の素晴らしさを味わうことができるようオリジナルアレンジを生演奏するという粋。イントロがかかる度にふるえた。私の鳥肌は左半身から立つ。

 「そして僕は途方に暮れる」(大澤誉志幸)は特別な思い入れをもって聴いた。曲を貫く「タタンタタタタン」が一度心を染めるとしばらくその音が立ち去ることはない。ライブ開催の数日前からもうそんなモードになっていて、雨、車、高速道路、カップヌードルと、連想させる何かに出会うたびにリフレインのスイッチが入った。もう、あのテンポに合わせてしか歩けなくなった。

  颱風の去つて玄界灘の月  中村吉右衛門

 台風が来るとこの句のスイッチが入る。予報を聞くだけで見たことのない玄界灘の月に思いが到るのだ。台風の後の空には格別の美しさがある。紺碧の空と白い雲とのコントラスト、見たことのない色の夕日。台風の後の澄みきった月にも出会ったことはあるが、吉右衛門が見た玄界灘の月は想像以上の美しさであったことだろう。

 掲句、台風の激しさを描くのに去った後の静けさで浮き上がらせていて奥行きがある。激しい風雨が空気を浄化したことを月の輪郭が語る。玄界灘の地名にも風格がある。

 作者は初代中村吉右衛門。高浜虚子に師事していた。秀山の俳号を持つが句集も「ホトトギス」への投句も吉右衛門の名を生かしている。秀山の俳号も継いだ二代目吉右衛門は雲のはるか上から玄界灘の月を見下ろしているだろうか。

 博多でライブがあったのは台風が去った後だったので玄界灘の月が見られるのではないかと期待したが、28日目の月を肉眼で拝むことは叶わなかった。

 ライブの余韻に浸りながら中洲の風を受け、玄界灘の月を脳内に仰いだ。スイッチオン。一人の編曲家が発明したリフレインに時を超えて支配された夜だった。

『新版 角川俳句大歳時記 秋』所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


『新版 角川俳句大歳時記 秋』はこちらから ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】

>>〔17〕秋灯の街忘るまじ忘るらむ    髙柳克弘
>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空   若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり      林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人

>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


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