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一燈を消し名月に対しけり 林翔【季語=名月(秋)】


一燈を消し名月に対しけり)

林翔


 月は可能な限り毎日見ているが、やはり中秋の名月は格別だ。それだけに俳句にしようとするとどこから手をつければ良いのかわからなくなることがあるのは筆者だけではないだろう。

 そんな時はひたすら見るしかない。窓越しではだめだ。「句を作る時は必ず窓をあけて作る」という清崎敏郎の教えは『窓』(1986年刊・西村和子)の句集名の所以のひとつ。筆者もそれを実践している。

 窓を開けるだけではものにならず、ベランダに出ることも多い。その際テレビや音楽くらいは消すが、燈まで消して出たことはそういえばなかった。早速試してみたところ、闇の一部になることが出来て実に心地よかった。それまでは月を見ている姿が道行く人に見えているのではないかが気になる瞬間が何度もあり、一度に長時間見続けることに気持ちの上で小さな負担があった。また、家の中のことが急に気になってすぐに部屋に戻ってしまいがちなのも難点だ。

 しかし、部屋の灯りを消すと月を含む夜空との心理的距離が縮まり、周囲も気にしなくて良いことからまさに月と相対しているという心持ちになる。そうなってくると、それまで聞こえていたのに認識していなかった音が聞こえてくる。風が出てきたようにすら感じられる。

 わずかな光の有無が季語との距離をこれほどまで縮めるのだ。

  一燈を消し名月に対しけり   林翔 

 この句は「ちょっと燈を消してみよう」という程度の心持ちとは思えない。名月に「対」しているのだ。見るというレベルを超えた一対一の勝負のようにも感じられる。今年の名月をくまなく詠み尽くす、という心意気があればこそのことなのであろう。

 空に一枚貼り付いているような感じの昼の月とは違って十五夜の月はこぼれ落ちそうな立体感をもって迫ってくる。あの質感をもってすれば、ただ見ているだけでも月に勝負を挑まれて相対しているような感覚を覚えることもあるかもしれない。

 「燈」の一文字で澄むところを「一燈」とした点にも注目したい。これによって武道の試合前の礼をしたような引き締まった空気が醸し出される。これを例えば

   燈を消して名月に相対しけり

 などとしていたら「燈」はぼんやりと消された感じになり、「対す」の力が弱まってしまうところだ。「いっとう」の音は「一刀」にも通じる。

 今年の月見は武士道精神で挑んでみようか。

『光年』(2004年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【「沖」の重鎮・林翔は第七句集『光年』にて第20回詩歌文学館賞受賞!↓】



【吉田林檎のバックナンバー】

>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人
>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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