ハイクノミカタ

香水の一滴づつにかくも減る 山口波津女【季語=香水(夏)】


香水の一滴づつにかくも減る)

山口波津女


 7年前の夏、京都に出張があったので自費で延泊して宇治の平等院鳳凰堂まで足を伸ばした。あとはタージマハル廟を訪ねることが出来れば左右対称好きの筆者に悔いはない。気のすむまで拝観した後、境内の茶房で新茶をいただいた。砂時計とともに供されたので最高のタイミングで淹れることができた。衝撃だった。それまで飲んできたどの新茶とも違う。いや、どんな飲み物とも違うものだった。美味などという言葉には収まらない。脳天から足先まで全ての細胞が目覚めるような、新しい体験だった。茶葉やお湯の温度など色々要因はあるだろうが、砂時計の存在によって時間が味に大きく関与していることが印象づけられた。

 時間は味覚の要にもなれば薬になることもある。「日にち薬」という言葉を知ったのは何年前のことだっただろう。時間がたつこと自体が薬になる、という意味である。虚子の〈時ものを解決するや春を待つ〉には何度救われたことか。

 BUMP OF CHICKENの『クロノスタシス』に「僕の奥残ったひと欠片 時計にも消せなかったもの」という歌詞がある。これは、日にち薬がまだ効いていないということではないだろうか。彼らの歌詞には時間という概念が様々な装いで登場する。『天体観測』では「『イマ』というほうき星」がわかりやすいところだが、「明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった」では時間を擬人化している。『Gravity』の「空を割る夕方のサイレン」では一日の終りを告げるサイレンが刃物のように空を、二人を切り裂く。『なないろ』では「おはよう 僕は昨日からやってきたよ」とあり、この「僕」は作者ともとれるが筆者は朝日と解釈した。日が昇ると今日が始まる。彼らの歌詞の中で可視化された時間は時に残酷な表情を見せ、またある時は希望へと手をひいてくれる。

香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女

 香水はその濃さや持続性によってパルファン、オードパルファン、オードトワレ、オーデコロンに分けられる。掲句に詠まれているのは最も香料の濃度が高く香りも長持ちするパルファンであろう。一滴で充分な効果が期待できるからだ。日本人にとって香水、特にパルファンはこの句が詠まれた当時も今もまだまだ特別な存在といえよう。普段からパルファンを使っている人でも特別な日のための一瓶はあるのではなかろうか。そんな日に使う一滴。一滴ずつだからこその特別感。減ったことがわかるには相当な「特別な日」を重ねているはずである。

 香水が減ることで月日の流れを感じる。人生の味付けとしてはこの上ない。この句が収められた句集『天楽』が上梓された時、波津女は古稀目前。夫・誓子との日々は香水が減った分香水瓶の中に満ちていったのであろう。

『天楽』所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【BUMP OF CHICKENの『クロノスタシス』はこちら↓】



【吉田林檎のバックナンバー】

>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 雛節句一夜過ぎ早や二
  2. 大空に自由謳歌す大花火 浅井聖子【季語=大花火(夏)】
  3. 虹の後さづけられたる旅へ発つ 中村草田男【季語=虹(夏)】
  4. 寝室にねむりの匂ひ稲の花 鈴木光影【季語=稲の花(秋)】
  5. マグダラのマリア恋しや芥子の花 有馬朗人【季語=芥子の花(夏)】…
  6. なんぼでも御代りしよし敗戦日 堀本裕樹【季語=敗戦日(秋)】
  7. 仰向けに冬川流れ無一文 成田千空【季語=冬川(冬)】
  8. 纐纈の大座布団や春の宵 真下喜太郎【季語=春の宵(春)】

おすすめ記事

  1. 死はいやぞ其きさらぎの二日灸 正岡子規【季語=二日灸(春)】
  2. 行く涼し谷の向うの人も行く   原石鼎【季語=涼し(夏)】
  3. 暮るるほど湖みえてくる白露かな 根岸善雄【季語=白露(秋)】
  4. 【連載】「ゆれたことば」#3「被災地/被災者」千倉由穂
  5. クローバーや後髪割る風となり 不破 博【季語=クローバー(春)】
  6. 【冬の季語】冬の谷
  7. 【夏の季語】昼顔/浜昼顔
  8. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第29回】横浜と大野林火
  9. 【春の季語】朝桜
  10. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第40回】 青山と中村草田男

Pickup記事

  1. 【冬の季語】日脚伸ぶ
  2. 神保町に銀漢亭があったころ【第4回】菊田一平
  3. 【新年の季語】正月
  4. 寒いねと彼は煙草に火を点ける 正木ゆう子【季語=寒い(冬)】
  5. 【秋の季語】秋蝶
  6. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第36回】銀座と今井杏太郎
  7. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第34回】鎌倉と星野立子
  8. 季すぎし西瓜を音もなく食へり 能村登四郎【季語=西瓜(秋)】
  9. 主よ人は木の髄を切る寒い朝 成田千空【季語=寒い(冬)】
  10. ここまでは来たよとモアイ置いていく 大川博幸
PAGE TOP